大泉洋が体現する「数奇な運命」
劇中では、堅をいくつもの悲劇が襲います。そのうちの1つはもちろん、愛する家族を失ってしまうこと。映画は小山内家の誕生から崩壊までを描いています。つまり、堅と梢が結ばれて瑠璃が生まれ、幸福な家庭を築き、やがてその仲が無惨にも引き裂かれてしまう過程をです。
さらに堅を襲う悲劇というのは、愛する者たちのいない日常を生きていかなければならないこと。そして、大切な娘がまったく無関係な人間の“生まれ変わりだったのではないか”などと得体の知れない青年に言われることです。これは堅からすれば愛娘の死に対する冒涜。そんなことを言われて穏やかでいられるはずがありません。
スクリーンを超えて伝わる、心のざわめき
大泉さんといえば多くの人にとって、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合)での好演が記憶に新しいのではないでしょうか。時代劇はもちろん、コメディ色全開のものやSFなど、とにかくどんなタイプの作品にも順応してみせる稀有な俳優だと思います。
それでいえば今作は、ファンタジックな設定ではあるものの、人間ドラマの繊細さに重きが置かれた作品です。オーバーな身振り手振りも、激しく感情をぶつけ合うこともありません(全員が全員そうだというわけではありませんが)。
大泉さん演じる堅は大きな悲劇に見舞われながらもどうにか自分の足で立ち、心に凪を作って生きている人です。けれどもそんな彼の前に三角などの思いがけぬ存在が現れることで、凪はざわめきに変わります。
画面に映し出される大泉さんの表情の痺れや声の震えは、堅の心の中に広がるざわめきを訴えるもの。それはスクリーンを超えて伝わってくるものであり、大泉さんは堅が巻き込まれる数奇な運命を体現しています。
切実な想いが生み出す奇跡
本作の軸になっているのは、輪廻転生というモチーフ。あらすじなどで触れているとおり、つまりは“生まれ変わり”のことです。前世の因縁が、現世に影響を与えているのではないか――。ネタバレしない程度に本作の核に触れるのならば、こんなところです。そして因縁とは本作の場合、“誰かに対する強い想い”のことだといえます。
強い想いが、誰かへの強い想いが、“生まれ変わり”という奇跡を起こす。この映画はあくまでもフィクションですから、そんなことが本当にあり得るのかは個々人の受け止めかたしだいでしょう。ですが現実は、ありとあらゆる問題が世界規模で進行し、ときにそれらは私たちの想像力を凌駕します。そのことを考えると、切実な想いが生み出すこの奇跡を信じてみたくならないでしょうか。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun