「歌は世に連れ、世は歌に連れ」の言葉どおり、時代は常に新しい音楽やアーティストを生み出します。例えば、2018年には日本レコード大賞最優秀アルバム賞を受賞、同年のNHK紅白にも出場した、稀代のヒットメーカーである米津玄師(32歳)。「ゴリゴリのテレビ世代」を自認するライターの田中稲さんは当初、彼の楽曲を「食わず嫌い」をしていたそうです。そんな田中さんが「米津玄師」を受容した過程を、“強い後悔”とともに綴ります。
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米津玄師さんの新曲『月を見ていた』の配信が、6月26日にスタートした。
彼の声は本当に不思議で、大昔から知っている気がする。幼い頃という意味ではなく、自分が海の生命体か宇宙のチリだった、くらいの大昔。意識の奥あたりから待っていた声、とでも言おうか。MVを見ながら聴くのもいいけれど、目を閉じながら聴くのもまたいい。ふーっと広がる、太古の記憶——。
今でこそこのようにウットリ聴いているが、私の米津歴はまだ浅い。5年前、2018年の紅白歌合戦で『Lemon』を聴くまでは、心の扉は固く閉じていた。
理由は、「ボカロ」というジャンルへのぼんやりとした拒否感(デビュー前、米津さんは「ボカロP・ハチ」としてインターネットで活躍していたという)。ボカロ流行のきっかけとなった音声合成ソフト「初音ミク」は2007年に生まれ、多くの人たちが感性を爆発させ、イキイキと自分の音楽を作成、発信しているのは、もちろん知っていた。
ところが、私は保守的だった。友人に何度も「いい曲があるよ」とすすめられていたにもかかわらず、「うーん、よくわからないからいいや」で終わっていたのだ。
ミクちゃん誕生から逆算すれば、私はなんと、約15年もこの新音楽カルチャーに背を向けていたことになる。今となれば、タイムマシンに乗ってこの頃の自分の背後に降り立ち、「新しい文化をさっさと受け容れんか、このアンモナイト頭がッ!」と背中を蹴りたい気分である。
ゴリゴリのテレビ世代なので、そもそもネット上で個人的に配信したものがヒットするという流れが、いろんな段階をすっ飛ばしている気がして、ついていけなかったのである。「よくわからないから聴かない」。我ながら、とんだ食わず嫌いであった。