2018年の紅白歌合戦も、直前までは「仕方ないから聴くか」とのけぞった姿勢だった。ところが、大塚国際美術館(徳島県鳴門市)でたくさんのキャンドルに囲まれながら彼が『Lemon』を歌い始めた途端、姿勢が前のめりになり、最後は正座になっていた。
こんなの、ボカロP時代の曲も断然聴きたくなるではないか。私は「こんな才能を生み出したツールやカルチャーを、自分はわざわざ避けてきたのか……」と、己の凝り固まった価値観を強く後悔した。
若い頃は、変化を楽しめていたのに。新しい風を吸わなきゃソン、くらいに思っていたのに!
年と共に、なんでも分かったようなクセがついてしまっていたことに、やっと気がついた。「どうせわからん」「どうせ私のツボとは違う」という、一番なるまいと思っていた「どうせ族」になっている! ギャー!! そんな思い込みの高く厚い壁を一気に取り除いてくれた米津玄師さんは、私の恩人である。
現在『Lemon』は約8億回再生
さて、米津玄師さんの現在の活躍の凄まじさはもう言わずもがな。世界中の人を幸せにしている。MV『Lemon』の再生回数はどうなっているのだろう、とYouTube公式チャンネルを見たら、なんと8.1億回となっていた(2023年7月9日現在)。
私が心のテーマ曲としている『海の幽霊』は3.1億回。ご自身の楽曲だけでなく、プロデュース曲も大ヒットを連発し、菅田将暉さんの『まちがいさがし』(菅田将暉 Official Channel)は1.9億回、Foorin×米津玄師名義の『【パプリカ】ダンス ミュージックビデオ』(NHK)は2.4億回再生されている。『KICK BACK』など、MV公開から6か月と1日で1億回再生を突破。6月26日に配信開始された『月を見ていた』(MVは7月9日公開)も時間の問題だろう。
冒頭にも記したけれど、彼の声は、いろんな時間や空間を超えた、遠い記憶から聴こえてくるようなデ・ジャヴュボイス。きっと、これからも不思議な郷愁を漂わせながら、多くの人を、新しい風景に誘ってくれるだろう。
現代は、本当に忙しい時代だ。これまで慣れ親しんできた環境やツールが淘汰され、代わりに、驚くような機能が付いたツールや、想定外のアプローチで花咲いたカルチャーが、ポンと目の前に置かれる。戸惑い、「ついていけませんわ」と通り過ぎようかとも思う。
けれどそのたび、『Lemon』を思い出すのだ。扉を開けてみれば、あの曲を初めて聴いたときのような感動が、きっとまた心を振るわせてくれるはず、と。
みなさんの価値観を変えたエポックメイキングな楽曲は、誰のどんな曲でしょうか。
◆ライター・田中稲
1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka
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