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66歳オバ記者、特養に入った認知症の叔母から「黒い電車に乗って旅行にきた」と電話 「長年関わってきた歴史があるから目の前の姿を認めたくない」

オバ記者
叔母が特養に入りモヤモヤっとした感情が出てきたオバ記者
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ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。自宅介護の末、母親を看取ったのは一昨年春のこと。その母親の妹(叔母)が先日、特別養護老人ホームに入居した。認知症を患い、すっかり変わってしまったという叔母の姿をオバ記者はどう感じたのか――。

* * *

飼い猫のことで近所トラブルを起こしていた叔母

認知症。わかったようなつもりでいたけど、何ひとつわかっちゃいなかったんだなと思う今日この頃。

妄想が激しくなってひとり暮らしがむずかしくなった88歳の叔母が特養(特別養護老人ホーム)に入居することが決まったの。そうなるまでには、「屋根が壊れています」とひとり暮らしの老人宅を渡り歩いている業者と契約してしまったり、家の鍵が誰かに渡ったと思い込んだりと、ヤバいことが重なったんだけど、それにしても「福祉の世話にはなりたくない」と言っていた叔母がよく特養への入居を納得したわよ。

オバ記者と叔母
特養に入る前の叔母と記念撮影
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同居した叔母の長女(58歳)に聞くと、「これがお母さん?」とがく然とすることがしばらくの間、いろいろとあったみたい。たとえば叔母は2匹の猫を飼っていたんだけど、そのことでご近所トラブルを起こしていたんだって。

飼い猫のトイレは家の中で、というのは都会に住む人間の常識だし、叔母もそうしていた。だけど数か月前から、トイレの掃除が面倒になったのか、猫を家から出していたらしいのね。「それで長く付き合っていた裏の家のKさんから、『今後のお付き合いはいっさいお断りします』と言われたって。それを私に『猫だからどこでだってオシッコくらいするわよねぇ』ってケロッと話すのよ。もう、わけわかんない」。

オバ記者
彼女には今までの常識がもう通じなくなっている(写真は19年連れ添った亡き三四郎のTシャツ)
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一度も「ヒロコちゃん」と呼ばなかった

それで、「しばらくの間、施設にいてくれたら私たちも安心できるから」と説得して、最初は「自分の家がいちばん。ここにいる」と頑張っていたけど、「まあ、そこまでいうならしばらくの間、言う通りにしてやってもいいわよ」ということになったのだそうな。

そんないきさつがあったので、私が叔母に会いに行くと言うと娘は心配して、「施設のことは絶対に言わないでね」と何度も念を押されたの。

母ちゃんの後ろにいるのが叔母
まだ元気だった叔母。前にいるのは母ちゃん
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いやいやいや、そうじゃないんだよね。ふつうなら、施設に入りたくない。不安だ。なんとか施設に入らずにすむ方法はないかと、こう考えるんじゃないかと思うけど、今の叔母はそんな筋道を立った考えはしないのよ。私と会っている間、一度も施設に入居するなんて話は出なかったし、別れ際だって、「またおいでね」って、これまで50年以上続いてきた叔母の家の玄関先で交わしてきた通りだもの。

だけど後から考えたらその日、一度も叔母から「ヒロコちゃん」と名前で呼ばれていないんだよね。案の定、その夜、娘には「お友達と食事してきた」と言ったそうな。それを聞いてなるほど納得よ。だって、叔母の顔つきや目つきが私が知っている叔母ではなかったんだもの。

「何かにとりつかれたようだった」母親

実は私、この顔にはちょっと見覚えがあるんだわ。4か月間、帰省介護した母親はほとんどボケの症状は出なかったけれど、寝起きに何度かおかしくなったことがあるのよ。最初は、「何でそんなに必死になっているんだ」と思ったけれど、違うんだよ。目をギラギラさせて、顔つきからして何かに取りつかれているみたい。

オバ記者のお母さん
母ちゃんにも誰か知らない顔つきになるときがあった
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感覚では「あ、この人の言うことを真に受けたらダメなんだ」と判断するんだけど、同時にそう思いたくない思いもある。そのふたつがせめぎ合って混乱した私は、母ちゃんを怒鳴りつけたんだよ。「ざけんな、ばばあ。てめえ、私をどんだけ縛りつけたら気がすむんだあ」と。

母ちゃんはそんな私を「あのガギメ(娘)、がががっと怒鳴りやがんだ」と弟に愚痴っていたけど、その時はもう目つきも顔つきもいつもの母ちゃんに戻っている。

歩けるまでに復活した時の母ちゃんと弟
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まあ、家族がいっしょにいられるかどうかは、その度合いと割り合いなんだよね。叔母は母ちゃんよりずっと身体は動くけれど、認知症の度合いはずっと重いように見えた。一緒に食事をするために過ごした1時間足らずの間、ずっと私の知っている叔母ちゃんの顔じゃなかったんだもの。

叔母からの電話「黒い電車に乗って大勢で旅行にきた」

叔母が特養に入居して3日目。なんと叔母から電話が入ったのよ。

「ヒロコちゃん? 私だけどどうしてる? 私、なんか黒い電車に乗って大勢で旅行にきたみたいだけど、やだ、ここどこかしら。それでね。明日、東京駅まで迎えに来てほしいのよ。みんなで旅行にきて泊まっているんだけど、家も猫も心配だし」

電話をかけようとしている女性
「ヒロコちゃん?」突然かかってきた叔母からの電話(Ph/photoAC)
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施設に入居する日がくるとは思っていなかった叔母は、特養がどんなところか知らなかったんだよね。

「昨日はね。ご飯のときにいっしょになった人から『どこから来たんですか』と聞かれたから、『水戸でござんす』と答えたの。そうしたらその人、水戸を知っていてね」と言うけれど、水戸は叔母が生まれた村にいちばん近い都会で、住んだことは一度もない。

オバ記者
状況がわかっていても叔母の発言には冷静でいられない(写真はバイトをしている国会議事堂の前庭)
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電話だったから、「あらそうだったの」と聞けたけど、目の前にいて何時間かこれをされたらどうなるか。モノ取り妄想で、泥棒扱いをされたら冷静でいられるか。「ただ今、魔界に入っているのね」といくら思おうとしても、私はムリ。やっぱり怒鳴るし、もしかしたら手が出るかも。

「人はいつでも心身共に元気ではいられない」

でも怒鳴ったって仕方がないし、本人だって、自分の意識とは別に、もうひとりの自分が起こしたことに責任なんか持てやしないって。じゃあ、どうしたらいいって、いくら考えても出口はないんだよね。老いとはこういうこと。やがては私もそうなるという現実を飲み込むしかないんだよね。人はいつまでも心身共に元気ではいられないんだもの。

そういえば叔母が60歳のときにふたりでパリ、ミラノ、ヴェネツィアの旅をしたことがあるの。何ひとつ自分ではできないくせに、言いたいことだけ言う叔母に腹を立てて、とうとうミラノの繁華街で「じゃあ、勝手にどうぞ」と見捨てたわけ。そして頃合いを見て探しに行ったら、「どこに行ってたのよっ!」と泣きそうな顔で怒るから、「じゃあ、これからも自由行動にする?」と言うと、「そんなこと、できるわけないじゃない」と、やっと白旗をあげた、なんてことがあったっけ。

26歳の時、女友達と訪れたギリシャのシフノス島
白旗をあげるなんて叔母には珍しいことだったな(写真は26歳の時に訪れたギリシャのシフノス島)
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良くも悪くも、長年関わった叔母と姪だからの歴史がある。思えばその記憶があるから、目の前の叔母を認めたくないのよね。

認知症の世話はプロに任せたほうがいいという話はよく聞くけど、そうなんだよね。認知症の知識がある、ない、という以前に、過去がないから、人の老いとはこういうものだと、すんなり受け入れられるんだと思う。受け入れられないから、私は母ちゃんを怒鳴ったんだよね。

元気になるにつれアクの強い性格も復活!?
これから先さら老いていく叔母を受け入れることができるのか…(写真は帰省介護をしていた頃の母親)
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先日の叔母のマトモそうな「ヒロコちゃん?」の声を思い出すたび、そんなことを思うのでした。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

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