17年間の専業主婦を経て、外資系企業で働く薄井シンシアさん(65歳)は2024年5月に外資系IT企業を定年退職。6月以降も同じ会社で嘱託社員として勤務日数を減らして働くことにした。主婦の再就職支援をする会社の立ち上げも検討している。今後の人生を決める上で、シンシアさんに最も必要だったのは「ブランド企業の誘いを辞退した勇気と理由」だったという。65歳からの働き方をつづるシリーズの2回目は、ブランド企業にこだわった理由と、それを捨てた理由を聞いた。
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「今の会社で働くうちに、欲が出た」
《大手IT企業は辞退しました。このまま現在の会社の契約社員になって、自分のコミュニティー・会社を作ることにしました。コミュニティーの名前はNext Stageです。(最近、スタートした)月1回の女性の集まりはかなり盛り上がっています! 参加希望者が凄く増えている。招待ベースだから雰囲気が良いです》(5月下旬、シンシアさんから筆者に届いたメール)
現在の会社には2023年11月に入社して、65歳の定年まで1年6か月間、正社員として働きました。この会社を選んだ理由は、63歳で転職先を探していた時に年齢的に厳しいからなのか、リクルーターから深いため息をつかれたから。ため息をつかれたとき、「絶対に、この人の力に頼らずに人気企業に就職してやろう」と誓いました。今の会社が63歳だった私を採用してくれたのは本当にありがたかった。私の強みは、企業に生き残って現場の声を発信することだとも思いました。
ただ、今の会社には65歳という体力を考えて、仕事をフェードアウトするつもりで入りました。でも働くうちに、私、まだまだできるじゃん。いろんなアイデアも出るじゃん。本当にこのままフェードアウトしていいの? と欲が出てきました。そこへ大手有名企業から誘いが来たのです。
私の周りには、子育てを優先して退職し、再就職せずに起業している優秀な人が何人もいます。私は彼女たちの分も「主婦だって再就職できる」と証明したかった。でも、それは63歳の外資系IT企業への再就職で十分に証明できたとも言えます。専業主婦の再就職を後押しする仕組みをつくるか、有名企業に転職するか、ずいぶん迷いました。
「こんなに自由で身軽なのに、いつまで待っているの?」
65歳以降の生き方を本格的に考え始めたのは一年ほど前からです。いろんな人から「起業すれば?」と言われました。でも、私には起業する理由を整理する時間が必要でした。
考え続けているうちに、「私自身が就職に縛られているのかもしれない」と思い始めました。だって、周りの人は子どもが小さいとか、まだお金の心配があるとか、理由があって、それぞれの道を選んでいるでしょう? 私はいったい何を待っているの? こんなに自由で身軽なのに、いつまで、何を待っているの?
もう自由になりたい。そう思いました。私の周りにフリーランスになった人たちがいます。彼らの中には、もっと資金を貯めてから計画的に起業した方が良いのにと思う人もいるけれど、どんどん挑戦しています。私には、そこそこの知名度があるし、仕事もある。それなのに何をためらっているんだろう? 今が自由になるタイミングでないなら、いつまで待つんだろう? と思うようになりました。
悔しいけどタイムオーバー、入社してもトップになれない
スカウトしてくれた有名企業のブランドに惹かれたことは事実です。私の中で「ほら見ろ。有名企業から誘いがあるじゃん」と言いたい気持ちがありました。でも、みんなが憧れる大企業に65歳で就職したところで、ブランドを集めているだけなんだよね。そんなにブランドを集めてどうするの? ブランドなら、世界一の外資系飲料メーカーに入社した時点で達成できているから、さらに転職する必要は無いと思いませんか? これ以上、転職を重ねたところで何が得られるのかな、と思い直しました。
冷静に考えると、私の肩書にもう1つ有名ブランドを加えても、大したプラスにはなりません。だって、私の年齢で入社したところで、日本法人のトップにはなれません。タイムオーバー。それなら、私がゴールまで走り続けるより、次に走る若い人を支えたほうが、誰かがゴールまでいけるでしょう? 私自身がゴールまでたどり着けないのは悔しいよ。でも明らかにタイムオーバーなんですよ。
就活で最も必要だったのは、ブランドを断る勇気と理由
シンガポールで、主婦の再就職を支援するサイトを運営している女性がいます。彼女は10年前からサイトを運営しているのに、私はそれを「ああ、そう」と眺めていただけでした。でも、LinkedInでインフルエンサーになったのは私が先なんですよ。彼女の実績を見ているうちに、今から挑戦しても遅くないかも、と思い始めました。
先日、娘にも「私は最初から『なぜママが有名ブランドに行きたいのか理解できない』と言ったじゃない」と言われました。普段は私が進路に悩む娘にアドバイスをするのに、今回はお互いの立場が逆転。これは面白い経験でした。
人生を決断する上で、最も必要だったのは「有名企業の誘いを断る勇気」。私は「去る者は追わず来る者は拒まず」の姿勢で、誘われた仕事を回してキャリアを重ねてきました。もちろん、専業主婦からの再就職には苦労も伴いました。そこへすごい有名ブランドから「一緒に働かないか」と誘われたら、やっぱり惹かれるよね。断るのは、もったいない。断るには、勇気と理由が必要だということに気づきました。
米巨大IT企業は、最終面接の後に「ごめんね。すごく楽しかったけど…」と、自分から辞退しました。
とことん考え抜いて出した結論だから、断ったことへの後悔は1ミリもありません。自分で納得しているもの。
◆薄井シンシアさん
1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社。65歳からはGIVEのフェーズに。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ