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サヘル・ローズの運命を変えた国語の先生「もっちー」の言葉 いじめの経験を経て、人の顔色ばかりうかがっていた少女が気づいた「言葉の大切さ」

定時制高校の先生の言葉が人生を変えたと語る俳優・タレントのサヘル・ローズ
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運命を変えた言葉、自分に自信を持つことができた一言……相手からすると何気ない言葉だったかもしれないが、言われた本人の心にはいつまでも残り、支えになっている──。俳優・タレントのサヘル・ローズ(39才)の人生を変えたのは、定時制高校の先生の「もっちー」の言葉だった。

イランで生まれたサヘルは、1980年から1988年にかけて行われたイラン・イラク戦争のさなか、家族を失い戦争孤児となった。施設生活を経て養母に引き取られ、8才のときに養母とともに来日。小学校卒業後に進んだ都内の中学校で壮絶ないじめにあう。苦労して育ててくれる養母にいじめの事実を告げられず、自殺を考えたこともあった。

いじめの影響もあって成績は伸び悩んだ。加えて、生活は楽ではなかったので、学校で作った野菜を持ち帰れるかもしれないという期待から、中学卒業後は東京都立園芸高校の定時制に進学。そこで待っていたのが、恩師である「もっちー」こと国語科の持田ひろ子先生との出会いだった。

「中学でのトラウマで人間不信になり、高校でも人の目を気にして孤立していた私の前に現れたもっちーは、“何をそんなに一生懸命になっているの。他人に好かれるために何かをやるんじゃなく、まずは自分と向き合いなさい”と言いました。まっすぐ私の目を見ながらそう伝えられて、“あぁ、私は私のままでいいんだ”と思うことができたんです」(サヘル・以下同)

それまでの自分は、無理をして人の顔色ばかりをうかがっていたと振り返る。

「施設で育ったり、いじめられたりした子はアンテナがすさまじく、相手がどんな気持ちなのかを考えすぎて自分を見失っていきます。自分を守るために笑いたくもないのに笑う癖がつき、痛みを感じないよう一生懸命に平気なフリを演じるたびに、心の傷がどんどん深くなっていく。

もっちーはそんな私の状況を一目で見抜いて“自分らしく生きていれば、そのあなたを好いてくれる人がきっと現れるよ”と言ってくれたんです。その言葉で、トゲトゲしていた私の心が徐々に穏やかになっていきました」

持田先生(右)と出会い、高校時代は楽しい生活を過ごしたサヘル・ローズ(提供/サヘル・ローズ。一部を本誌『女性セブン』で修整)
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自分の苦しさを理解してくれる恩師に出会ったことで心の奥にたまった澱が消え、定時制の仲間とも少しずつ打ち解けていった。

「最初は好かれるためにおとなしくニコニコしていたけど、いつの間にかよくしゃべる存在になり、“サヘルじゃなくてシャベルだ”と言われるくらいでした(笑い)」

「初めて会った人全員を0点にしなさい」という持田先生の言葉も心に響いた。

「私たちは初めて会った人に期待して100点を与えて、その後に価値観の違いなどがわかると勝手に幻滅して、印象を悪くしていました。でも、初めて会った人を0点にしておけば相手のいいところを素直に見つけられます。これも、もっちーから教わったことです」

国語教師である持田先生との触れ合いで「言葉の大切さ」にも気づいた。

「もっちーの愛ある言葉で私はすごいパワーをもらったけど、中学時代にもらった言葉は悲しかった。言葉は人を殺すこともできるし、人を愛して未来をつなげることもできます。国語の先生だったもっちーが言葉をすごく大事にしていたので、私も日本語を習得するために全力を尽くしました」

いまでもサヘルの登場する新聞や雑誌の切れ端を集めて送ってくれる持田先生に、サヘルが心からの「贈る言葉」を語る。

「生きていてくれてありがとう、存在してくれてありがとう。人の人生や考え方は出会う人によってだいぶ決まってくると思うから、もっちーと出会っていなかったらいまの私はいません。もっちーと出会えて私は最高に幸せです」

【プロフィール】
サヘル・ローズ/1985年、イラン生まれ。8才で養母とともに来日。ラジオDJとして芸能界入りし、主演映画『冷たい床』はイタリア・ミラノ国際映画祭をはじめとする映画祭で賞を受賞。2020年にはアメリカで人権活動賞を受賞。

※女性セブン2025年4月24日号

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