
人生の変化のきっかけとなるのが、恩師の言葉だ。それは何気ない一言だったかもしれないが、受け取った本人にとっては人生の支えになっている──。俳優・タレントの加藤諒(35才)の高校時代の先生の言葉によって、人生が変わったという。
凜々しい眉毛と強い目力、甲高い声が強烈なインパクトを与える個性派俳優の加藤。静岡県出身の加藤は5才で地元のミュージカルスタジオに入り、10才で人気バラエティー『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)に出演した。子役として活躍したが、学校生活は楽しくなかったと語る。
「自分のことを『うち』と呼んだら先生から“それは女の子が使う言葉です”と注意され、クラス会で『ぼく』と言ったら先生に“いま諒くんが『ぼく』と言いました。皆さん拍手しましょう”と言われて気持ち悪かった。仕事で学校を休むことを嫌っていた先生たちが、ぼくがNHK連続テレビ小説『こころ』に出た途端に“応援しているよ”と手のひらを返してきたこともすごく嫌でした」(加藤・以下同)
大好きなミュージカルを学ぶため、常葉大学附属橘高校の音楽学科に進学。そこで3年間担任だったのが岩堀栄先生だった。

「国語の授業で芥川龍之介の『羅生門』を先生が朗読する際、登場人物が憑依したようになりきっていたのがおもしろくて“この人はヤバい!”と思った。燃えるゴミ用のゴミ箱に空き缶が入っていたときも、先生が空き缶を手に“こ〜れ〜を入れたのは誰だ〜!”と生徒を見回す顔が劇画調で楽しくて(笑い)。いつの間にか親しみを込めて『イワッホー』と呼ぶようになりました」
音楽学科には男子生徒が3人しかおらず、修学旅行の部屋を決める際、加藤に“ゲイ疑惑”が持ち上がりちょっとした騒動になった。そのとき、岩堀先生は正面から加藤に向き合った。
「生徒のジェンダーを尋ねるのは学校も勇気が必要だったでしょうが、イワッホーは正面からしっかりとぼくの話を聞いてくれました。ぼくは小さい頃から『おかま』と呼ばれていましたが、きちんと自分の言葉でゲイではないことを先生に伝えられてよかった。この件でますますイワッホーを信頼できました」

高校3年生の5月、ミュージカルスタジオの卒業公演に加藤は主演ではない役で出演した。見に来てくれた岩堀先生に同級生が「センターの子はすごかったでしょ?」と尋ねると、岩堀先生はこう言った。
「いちばん華があったのは諒だった」
この一言がいまも支えになっていると加藤は語る。
「コンテストは常に2番手グループで卒業公演もメインではなかったので、イワッホーの言葉が心に刺さりました。地味でイケメンでも1番手でもなく、スタジオの先生に“主役をやりたいの?”と聞かれるくらいだったぼくに、『華』という美しい言葉をつけてくれたことがすごくうれしかった。自分なりにすごくがんばってきたつもりでしたので、イワッホーの一言でそれまでの苦労が報われました」

卒業後の進路について、両親は系列大学で保育士の資格を取ることを希望した。加藤自身も芸能活動を続けられるか迷いがあった。
「それでもエンタメをあきらめきれない気持ちがあり、イワッホーの言葉に背中を押されて美術・芸術系の大学を志望し、多摩美術大学に合格できました。無事に受かって、真っ先にイワッホーに連絡しましたね」
大学でエンタメを学んだのちも端役で努力を続け、2016年の舞台『パタリロ!』で主役を任され、現在も第一線で活躍を続ける。大輪の花を咲かせた加藤をいまも勇気づけているのは恩師のあの言葉だ。
「おととし、高校の60周年記念式典を訪れたとき、イワッホーがぼくのことを“ブルーノ・マーズみたいだった”としきりに言ってくれました(笑い)。ぼくはいろんなことに自信がなく劣等感もありますが、ネガティブな気持ちが強くなったら“いちばん華があった”というイワッホーの言葉を思い出します。あの一言がぼくの鎧となっているんです」
【プロフィール】
加藤諒/1990年、静岡県生まれ。2000年、『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)で芸能界デビューすると、多くのドラマや映画などに出演。初主演した2016年の舞台『パタリロ!』の再現度の高さが絶賛され、代表作に。
※女性セブン2025年4月24日号