
アニメ化された世界文学の名作が、「原作と趣きが異なる」として物議を醸している。世界中に多くの愛読者を抱える作品だけに、日本発の新作アニメのクオリティーにはワールドワイドのファンが注目している。翻訳家も困惑した「原作改変」の中身とは──。
「『赤毛のアン』は熱烈な愛読者が多い小説です。10代で読んで感激して、10年、20年、30年、40年と読み続けて“人生のバイブル”にしている女性が多い特別な本です。こうした有名な文学作品を映像化する際は、小説の時代背景、登場人物の特徴をよく理解して描くことが大切です。その点、アニメには原作と異なる部分がいろいろとあり、小説の愛読者たちは不安に感じています」
NHK Eテレで4月5日に放送がスタートしたアニメ『アン・シャーリー』に対して真剣な表情でそう口を開いたのは、作家で『赤毛のアン』の翻訳家・研究者の松本侑子氏。松本氏が訳した『赤毛のアン・シリーズ』は累計20万部を超える。
カナダ人作家・モンゴメリが書いた『赤毛のアン』は1908年に発行された長編小説で、両親を亡くした赤い髪の女の子・アンが、農場を営む高齢兄妹に引き取られて幸せに成長していく物語。30か国以上で翻訳出版され、全世界累計発行部数は約5000万部を超える不朽の名作だ。
日本では1952年に故・村岡花子さんが初めて翻訳し、今回のアニメ『アン・シャーリー』は彼女の訳本を原作としている。松本氏は愛読してきた村岡訳に省略があることを作家になってから知り、日本初の全文訳を手がけた。
小説『赤毛のアン』の愛読者向けのSNSを開設している松本氏は『アン・シャーリー』の第1話が放送された4月5日、《ぜひ私に校閲をさせてください》とつぶやいた。

『赤毛のアン』のアニメ作品には、1979年に日本アニメーションが制作した世界名作劇場『赤毛のアン』(フジテレビ系)がある。故・高畑勲さんが監督・脚本を担当し、宮崎駿氏など錚々たる面々がかかわった伝説的な作品で、いまも根強いファンが多い。ネットでは高畑版と『アン・シャーリー』を比較する声も相次いだ。
そんななか、松本氏の投稿には多くの共感の声が上がり、5万件以上の「いいね」がついた。一方、モンゴメリの遺族と親交の深い松本氏に対し、《原作者の代理人気取りか》《他人の作品にケチをつけるな》といった意見も届いたのだ。
松本氏が「原作との違い」を投稿したのは、放送開始前に公開されたイメージビジュアルだ。そこには主な登場人物のダイアナとギルバートに挟まれ、笑顔を見せるアンが描かれている。
「この絵のアンは、ピンク色の服を着ていますが、彼女がピンク色を着ることはありません。小説の時代である19世紀の西洋では、髪の色と服の色の組み合わせに暗黙のルールがあり、“赤毛の女性が赤やピンクの服を着るのはみっともない”とされていました。原作小説のアンは、生涯にわたって《ピンクの服は着られない》と何度も言います」(松本氏・以下同)
また、アンの親友・ダイアナの目は緑色に描かれている。
「モンゴメリの英文でも村岡先生訳でも、ダイアナは黒髪に黒い目です。カナダは移民の国で、ダイアナはアイルランド系。黒い髪と瞳の“ブラック・アイリッシュ”と呼ばれるタイプです。西洋人にとって、髪と目の色はアイデンティティーを示すもので重要です」
根幹にかかわる色の“改変”
そうしたアニメの顔ともいえるイメージビジュアルで原作との違いがあり、松本氏は不安を覚えたという。放送が始まると、心配は現実になった。
「アンは感受性が豊かで、感動すると胸の前で両手を握りしめるかわいらしい癖があり、大人になっても繰り返すアンを象徴するしぐさです。アンは、馬車でグリーン・ゲイブルズ(アンが暮らすことになる家の屋号)へ向かう道中、りんごの花の並木道に感動して両手を握り合わせますが、この大切なしぐさの初登場シーンがアニメの第1話にはなく、小説の愛読者はがっかりしました」
ほかにも物語の根幹にかかわる色の“改変”があるという。
「アニメでは、ダイアナが緑色の服を着ていますが、緑の服はアンの人生の記念碑的な服です。少女時代から地味な服を着ていたアンの初めてのイブニングドレスは、赤毛によく合う緑。家族の喪があけて初めて着る色物の服は緑。アンが求婚されて婚約するときの服も緑。小説ではその場面が感動的に描かれます。今回のアニメでは、このくだりまで映像化されますので、アンの人生の大切な服が何色になるのか、案じています。
ちなみに原作では、ダイアナが緑色の洋服を着る場面は一度もありません。
そもそも『赤毛のアン』はキリスト教小説で、アンという名前は、聖母マリアの母アンナの英語名です。アンナ(アン)は西洋の宗教画では、緑色のマントで描く習わしがあり、だから小説のアンは緑の服を着るのです」

日本で『赤毛のアン』は児童書のイメージがあるが、世界的には大人の文学として評価されているという。松本訳は、作中の英文学と聖書からの引用を世界で初めて解説した注釈付きで、松本氏はカナダのモンゴメリ学会で学術発表をしている。
松本氏はアンの「瞳の色」にも懸念を寄せる。村岡訳には《大きな目は、そのときの気分と光線のぐあいによって、緑色に見えたり灰色に見えたりした》とあるが、アニメでは、その目から緑色が消えている。
「『赤毛のアン・シリーズ』では、シェイクスピアの《緑色の目は嫉妬深い》というフレーズがあり、アンの目が緑色に光る描写もあります。アンの緑の目は、人物像を表すポイントの1つなのです」
ほかにも、アニメの冒頭でアンは革製と思われるトランクを持っているが、モンゴメリの原作では《みすぼらしく古風な絨毯地のカバン》、村岡訳は《みすぼらしい古ぼけた手さげかばん》で、孤児のアンが高価な革のトランクを持っているのは不自然だという原作愛読者からの指摘もあった。

原作ファン以外の視聴者には、松本氏の指摘は響かないかもしれない。松本氏はこう続ける。
「アニメが、原作の村岡訳と完全に一致しなくてもいいと思っていますし、省略やアレンジは当然です。今回の新作アニメは、映像美も音楽もすばらしいです。世界に配信されると、英語で小説を読んだ海外の人々も期待してご覧になります。だからこそ、小説の定番と西洋文化の基本を正しく表現していただけたらと思います。私は新作アニメの応援団です。傑作になることを期待して、僭越ながら研究者として感想を述べさせていただきました」
放送開始以降、原作との違いを指摘する声がネット上で上がっていることについてNHKに見解を聞いた。
「アニメ『アン・シャーリー』の製作委員会は、原作『赤毛のアン』の関係者などの監修を受けたうえで制作を行っていると承知していますが、本作品についてのさまざまなご意見は製作委員会と共有しています」(広報局)
全24話で放送予定の『アン・シャーリー』はまだ始まったばかり。原作ファンの声は届くのか。
※女性セブン2025年5月1日号