
いつかは「親を看取る瞬間」が訪れると頭ではわかっていても、いざそのときが訪れると、あらゆる思いが胸にあふれるだろう。著名人たちが経験した「母の看取り」「父の看取り」では、最期の瞬間をどう迎え、どう受け止めたのだろうか。両親ともに最期の瞬間を看取ったのが、作家の久田恵さん(77才)だ。
「母と父を看取った瞬間は、私にとって忘れられない景色です。人の記憶は薄れていくけれど、あの2つの出来事は、記憶に焼きつくように鮮明に残っています。両親を看取ることができて本当によかったし、おかげでいまも母と父とつながっている感じがします」(久田さん・以下同)
60代で脳梗塞を発症した母は右半身まひと失語症のため10年近い在宅介護を経て、有料老人ホームに入居した。それを機に一家はホームの近くに引っ越し、毎日のように施設を訪れた。
「入所から数年後、酸素吸入器をつけることになりました。医師から“この1週間が山場”と言われて、父と交代で母の部屋に寝泊まりしてつき添いました」

夜、久田さんは朝まで母のそばから離れなかった。
「手を握って話しかけていたら、早朝に母の握力が弱くなり、呼吸の間隔が長くなり、やがてゆっくりと息を引き取りました。どれくらい時間が経ったかわかりませんが、部屋に入ってきた施設のスタッフに茫然と“母の息が止まっちゃったよ”と伝えたのを覚えています。覚悟はできていたはずなのに、促されるまで家族に連絡することすら忘れていました」
当時、久田さんは52才。普段は育児や仕事で忙殺されていたが、病室では母と自分のことだけを考えた。
「最後に1対1で母との関係を切り結んだ感覚がありました。自分はこの人から生まれて育てられ、この人が悩んで苦労して心を痛めて、愛情を注いでくれたのだなと思いました」
母の死後、力を落とした父と腕を組んで、久田さんはよく近所を散歩した。若い頃に家出して職を転々とし、結婚、出産、離婚を経験して家に戻った久田さんは自身を「迷惑をかけっぱなしの娘だった」と語るが、年老いた父は友人に「出戻り娘はいいぞ」と自慢し、「一緒に住んでくれたことを感謝している」と優しく告げてくれた。

母の死から8年後、父が近くの病院に入院した。「ここ2、3日だと思います」と主治医に告げられ、久田さんは父の病室にベッドを入れてつき添った。
「息を引き取ったのは朝方でした。呼吸はあるのに反応がなく、手を握って“お父さん、まだ寝るの? 起きないの?”と声をかけ続けました。入院から2週間ほどかけて、父はゆっくり、ゆっくりと亡くなっていきました」
両親とも急死ではなく、寿命が尽きる感じだったと、久田さんは話す。
「看取った瞬間はただただ悲しく寂しかったけど、来るべきときが来たという思いもあった。散々心配をかけた両親に最後に親孝行ができたような気がして、本当によかったと感じます」
看取りは悲しい一方で、生きる力にもなると語る。
「親を看取ることができて、自分がその先を生きる支えになりました。元気な頃は見向きもしなかったのに、看取ってからは両親が、自分をいちばん愛してくれた人たちがすごく恋しい。思いに応えるためにも、私も人生をまっとうしようと思うようになりました」
【プロフィール】
久田恵/ノンフィクション作家。『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。脳梗塞を発症した母、その8年後に父と、両親の介護と看取りの経験がある。
※女性セブン2025年8月21・28日号