
誰にでも平等に訪れる「死」だからこそ、自分が思うような最期を迎えたいと願う人は多い。さまざまな人生の終い方があるが、どんな憧れの死に方があるのだろうか。
「理想の死を遂げたと思われる人は?」という問いに「親父です」と即答した伊東四朗さん(89才)。
伊東さんの父・金三郎さんは明治生まれ。下請けの裁縫職人として家計を支え、言葉数は極端に少なかった。
「“飯はまだか”など、必要なこと以外はしゃべりませんでした。口より手が出る方が早く、すっくと立ち上がって、つかつかと寄ってきてバチーン! “わかったか!”で終わりでした」(伊東さん・以下同)
昔気質の職人で家族サービスとは無縁だったが、伊東さんは幼い頃の父との思い出が2つあると語る。
「7、8才の頃、冬場に“一緒に寝るぞ”と言われたのを覚えています。寒い時期だったので子供の私を湯たんぽ代わりに使ったのでしょう。一度だけ夏休みに父の故郷の静岡県・御前崎に連れて行ってもらい、そのときに父の泳ぎがあまりにうまくてびっくりしたのもよく覚えています。御前崎のほかにどこかに連れて行ってもらったことはありませんでした」
てんぷくトリオとして活躍した1960年代、静岡にいた両親を東京に呼び戻して一緒に暮らし始めた。変わらず寡黙だった父は1966年にがんを患って入院した。
「どうも様子がおかしいと通院させたら手遅れと診断されて、そこから毎日家族が代わる代わる見舞いに行きました。私はてんぷくトリオで忙しかったけど毎日必ず病院に行きました」

ある日、病室にひとりだけ残った伊東さんに父が「しょんべん」とつぶやいた。伊東さんが準備を始めると、父はそのまま亡くなった。
その死にざまが目に焼きついていると振り返る。
「父は生に執着していなかった気がします。本人は完全に死を受け入れていて、頼まれた仕事だけこなしてそのまま生涯を終えようと考えていたんじゃないかな。
最期も泣いたりわめいたりすることなく、おとなしく亡くなった。父の最後の言葉が“しょんべん”というのもとてもいいです」
以降、頑固親父の役が来たら父の背中の記憶を参考にしたという伊東さん。自分もみっともない死に方だけはしたくないと語る。
「今年89才を迎えましたが、この世界に入って60年以上続いただけで充分。自分がここまで生きるとは思っていなかったから、あとの人生はおまけです。あまりに生に執着している姿を見せるのも嫌なので死が迫ったら、とにかく黙っていた父親を見習いたい。できれば最後の言葉は“しょんべん”がいいですね」
※女性セブン2026年7月9・16日号