6月25日より公開中の芳根京子(24才)主演の映画『Arc アーク』。本作は、人類史上初めて「永遠の命」を得た女性と、彼女を取り巻く「世界」を見つめたSF作品です。
“老い”や“死”をめぐる物語が展開し、芳根演じる“不老不死”のヒロインとともに、生きていくことについて深く考えさせられるものとなっています。作品の見どころについて、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。
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奇抜なテーマながらも“人間”にフォーカスしたSF作品
本作は、ネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞の3冠を制覇した作家ケン・リュウ(45才)による短編小説『円弧』を、『愚行録』(2017年)や『蜜蜂と遠雷』(2019年)などを手掛けた石川慶監督(44才)が長編映画化したもの。ヒロインに芳根京子を迎え、彼女の17才から130才以上までの姿を、卓抜した演技力で表現しています。
”SFっぽい”演出は控えめ
本作は近未来の日本を舞台にしたSF作品ではありますが、いかにもそれらしい演出は控えめで、あくまでも“不老不死が叶う世界でのヒューマンドラマ”に重きが置かれています。差し当たり、「SFヒューマンドラマ」と呼べるものでしょう。
物語のあらすじはこうです。17才で息子を生んだリナ(芳根)。しかし彼女は自由な世界を求めて、一人で放浪生活を送っています。19才になったリナはある日、エマという女性と出会うことで人生が大きく変わることに。愛する存在を亡くした人々のため、遺体を生きていたときの姿のまま保存できるように施術するという特殊な仕事をするため、エマの下に就くことになるのです。
やがて、エマの弟・天音がこの技術を発展させ、ついには“不老不死”を可能なものに。その施術を受けたリナは、世界で初めて不老不死の身となった女性として、30才の身体のまま人生を送っていくことになります。
不老不死が当然となった世界が淡々と
先に述べたように、本作はSF映画でありながら、どちらかといえば静かな作品です。例えば、タイムマシンや人間そっくりのロボットなど、あからさまなSF作品らしいものが登場することもありません。緩急自在なカメラワークと、端正な画面の構図に抑制の効いた色彩。不老不死が当然となった世界が、俳優の演技と監督の演出によって淡々と映し出されていきます。
そういった点からも、本作はSF要素以上に、ヒューマンドラマの要素の方が際立っているように感じられるのです。つまり、作品の設定より“人間”にフォーカスしていると言えます。
見た目はそのままで、10代から130代の女性を演じ切る芳根京子
SF特有の設定を持ちながらも、淡々と物語が展開していくさまが興味深い作品ですが、何よりも驚きなのが芳根京子の存在です。芳根は17才の少女から30才で永遠の命を手に入れ、130才以上になるまでの姿を演じていますが、本人はまだ20代の半ば。これだけ幅広い年齢の女性を演じるのは容易ではないはずですが、30才のリナばかりか、130才を超えたリナにもリアリティを感じます。
もちろん、石川監督の演出による力も大きいのでしょうが、物語の構造や演出、映像のエフェクトだけでは成立しないように思います。
”涙の魔術師”との評価も
芳根といえば、監督や共演者から“涙の魔術師”とも称された映画『ファーストラヴ』(2021年)での好演も記憶に新しい俳優です。同作で芳根は、父親殺害の容疑で逮捕された女性を演じていました。これに登場する刑務所の面会室のシーンでの彼女の“泣きの演技”が凄かったのです。涙は流そうと思って簡単に流せるものではありません。
生理現象としての落涙を除いて、涙が流れるに至る心的な理由がそこにはあるはずです。俳優の演技の場合は、この理由を自身の内面で作り上げなければなりません。溢れ出す芳根の涙は、彼女の内面にいかに激しい感情が渦巻いているのかを物語っていました。役の内面を掘り下げることに長けた俳優なのでしょう。
外見はそのままでも”年齢”を感じさせる演技
対する本作『Arc アーク』での芳根には、過度な感情表現はほとんど見られません。いくらリナが130才になったとしても、時の流れとともに装いは変化していきますが、あくまでもリナという一人の人間でしかなく、彼女自身は変わりません。人間の身体は成長や衰えによって変化しますが、彼女の場合はこれがなく、何才のリナを演じるにしても外見はそのまま。
ですがその反面、加齢を最も分かりやすく示すのはやはり見た目なので、“加齢の表現”の幅は限られることになります。これはかなり大変なことなのではないでしょうか。しかし、芳根の発語の感触や、声音の重さや軽さには、リナが過ごしてきた年月を感じさせます。その身体は変わらずとも、経験によって精神は変化しているはずなのです。この難しい表現を、芳根はやり遂げているように思います。
本作が投げかける人間の“生”の意味
芳根が演じるリナの生涯そのものが、人間の“生”という本作のテーマを体現しています。リナとともに長い時間を過ごすことで、さまざまな問題も見えてくるのです。この物語に登場する不老不死の技術は、誰にでも適応するものではありません。さまざまな事由によって施術を受けられない人がいれば、自ら施術を拒否する人もいます。
人々の”老い”と”死”を見つめる主人公
人は老い、やがて死にゆくもの。そう考える人々にとって、不老不死とはあまりに不自然なものなのでしょう。このような人々の“老い”と“死”を、リナは見つめていかなければならない宿命を背負っているのです。
「死が生に意味を与える」──これは本作の予告編にも登場するセリフです。私たちはいつか死ぬからこそ、いま生きていることに意味がある。本当にそうなのかと聞かれたら、筆者は答えに窮してしまいます。ですが、人生というものが一回性のものだからこそ、この一瞬一瞬がかけがえのないものになるのだと強く思います。
観客それぞれが経てきた人生経験によって、本作が訴え、投げかけてくるテーマの色合いは変わってくるでしょう。月日を経て、さまざまな経験をし、また観返したい作品です。
文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。折田さんTwitter