健康・医療

フェムテックの第一人者、山田奈央子さん 更年期を乗り越えるために大切なのは「かかりつけ医」と「周囲に打ち明けること」

ピンクの服を着た山田奈央子さん
日本のフェムテックの第一人者が考える、フェムテックが社会に与える影響とは?
写真6枚

下着コンシェルジュとして女性に寄り添った下着を提案する山田奈央子さんは、女性の健康に関する悩みを解決するフェムテックと出会い、現在では日本フェムテック協会を立ち上げ、代表理事を務めています。社会で活躍するために女性が健康課題と向き合う必要がある、と話す山田さんに、フェムテックが社会に与える影響について考えを聞きました。

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「女性のヘルスリテラシーを上げたい」自身の経験から協会設立へ

26歳で大手下着メーカーを退職し、独立した山田さんは、会社を立ち上げ、下着をプロデュースしたり、よい下着を世に提案したりする中で、女性の体や女性の生き様といったことを研究していました。その中で、多くの女性が自分自身のことよりも仕事を優先し、体調を崩している現実を目の当たりにしたという。

自身の疾患をきっかけに感じた社会の女性の状況

「私自身も3年前に体調を崩してしまったんです。なんとなく腹部の違和感に気づいてはいたんですけど、仕事が忙しかった上に、コロナ禍ということもあって当時は病院に行きづらかったんですね。

そうして放置していたら、ある日激痛で立てなくなってしまいました。救急車を呼ぼうと思っても、2020年の新型コロナウイルスが流行し始めた頃で、まったく来てくれない。最終的に出産した病院が受け入れてくれて、卵巣嚢腫で卵巣が破裂寸前の状態になっていることが判明し、緊急手術することになりました」(山田さん・以下同)

ピンクの服を着た山田奈央子さん
自身が病に倒れてしまった山田さん
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仕事が忙しいあまり、女性疾患に気づけなかったという山田さん。この経験を周囲に話したところ、実は子宮がない、卵巣がない、手術を3回もした…と多くの女性に打ち明けられたといいます。

「多くの女性がさまざまな疾患を経験しながら、それを乗り越えていると感じました。治療後は、疾患を抱えながら努力して仕事を継続したり、病気を克服したりして今に至るかたもいれば、結局病気がきっかけで仕事を辞めてしまったとか、症状でつらいと家にこもってしまった、という人もいると知ったんです。

そこで、もっともっとヘルスリテラシーを上げないと、女性は自分の働き方を貫けないし、自分の“こうありたい”という目標から遠ざかってしまうと考えました。それが日本フェムテック協会を立ち上げようと思った一番のきっかけです」

志は「女性のためになることをしたい」ということ

こうして、2020年の年末に療養から復帰した山田さんは、年が明けると同時に日本フェムテック協会を立ち上げるために動きます。そして、たった7か月で協会の設立に至りました。

「コロナ禍により、みなさんが自分の健康課題を特に認識し始めていた時期だったので、このタイミングが大事だと思い、一刻も早く協会を立ち上げなければならないと奔走しました。2021年の前半の半年間は、朝4~5時に起きて、いち早くこの活動を広めたいという思いで走りましたね」

ピンクの服を着た山田奈央子さん
山田さんは療養から復帰してすぐに、協会の立ち上げに奔走した
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立ち上げには多くの困難もあったという。まず、医療の専門家に話を聞くことからスタートしたものの、誰に協会に加わってもらうべきか、人選に苦労した。

「結果的に、ビジネスとしてお金を儲けるのではなく、今後女性のためになることをしたいという志と意義に賛同し、『何があってもやりましょう』と集まってくださったかたにお願いしました。立ち上げのときにまず相談した医療ジャーナリストの増田美加さんや、背中を押してくださった医師の関口由紀先生に、協力していただくことになりました」

専門外のことに飛び込むことは、どうしても勇気がいるもの。山田さんは当時をこう振り返ります。

「業界の外にいたからこそ、臆することなく飛び込んでいけたような気がします。手を貸してくださる医師やジャーナリストのかたは救世主のような存在ですね」