つねに女性俳優のトップであった吉永小百合
ここまで繰り返し書いているように、吉永さんといえば日本が誇る名優の一人。これに異論のあるかたはほとんどいないのではないでしょうか。1959年公開の『朝を呼ぶ口笛』で映画デビューを果たし、『キューポラのある街』(1962年)や『伊豆の踊子』(1963年)などで主演。膨大な数の映画作品に絶えず出演を続け、80年代の中頃以降は、各作品の看板を背負う、日本を代表する主演俳優となりました。
筆者個人の吉永さんとの出会いは2000年代に入ってからのことですが、そこから遡るかたちで歴史に残る名作たちとも出会い、そのたびに吉永さんのさまざまな魅力を知ったものです。
そこで理解するのが、もっとも活躍した60年代から今日に至るまで、彼女はつねに女性俳優のトップであったこと。もちろん、俳優に優劣をつけることはできません。けれども彼女がスターであり続けたことは、そのキャリアを振り返れば一目瞭然なのです。
さすがは永遠のスター
そんな吉永さんが本作で演じるのは、友人たちとのボランティア活動に夢中になって取り組み、そして恋をする人物。つまり、いくつになっても自分の人生をあきらめない女性です。これは長きにわたってスターであり続け、生涯現役であり続ける吉永さんだからこそ演じられる役どころのように思います。
もちろん、誰だって生涯現役で仕事や趣味や恋愛に夢中になっていいに決まっています。けれども、あくまでもエンターテインメントとしてこれを描くならば、演じるのはそれ相応の人物でなければならないでしょう。
とはいえ、彼女のブランドイメージがこれを成立させているわけではありません。吉永さん扮する福江は、息子や孫、そして友人たちに対してそれぞれ異なる態度を取ります。むろん人によって態度が変わる人物などというわけではなく、対面する相手との関係性や距離感によって、ごくごく自然に接し方が変わるだけのこと。私たちと同じです。
特筆すべきは、彼女の恋の相手が初登場するシーン。ここでは相手の男性の顔はほとんど画面に映っていませんし、福江の顔もよく見えない。ですが彼女のその声色が明らかに違います。華やいでいます。このほんの一瞬だけで、福江がどのような心の状態にあるのかを吉永さんは示してみせ、これからどんな物語が始まるのかを示唆します。それもごくごく自然に。その声音は少女のような軽快さがあり、丁寧に年齢を重ねてきた人間の重みがあります。さすがは永遠のスターです。