ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)は一昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取った。苦労の絶えない在宅介護の日々の中で、忘れられない出来事があるという。母親が突如「100万円がねぇ!」――いったい何があったのか?
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母ちゃんが深刻そうな声で「こっち来い」
あと数日生きていれば92歳、惜しい!というタイミングで3年前に亡くなった母ちゃんだけど、亡くなってから私、一度も泣いていないし、これからもきっとそう。それより「面白い婆さんだったな」とついニマニマしてしまうことばかりよ。
たとえばお金のこと。まだ本格的な介護が始まる前で、老健(老人介護保健施設)を出たり入ったりしていた頃のこと。様子を見に帰省したら家の中が見渡せる定位置に座って、「ヒロコよ。ちょっとこっちにこうよ」と声を潜めるんだわ。「こっちにこうよ」とは茨城弁で「こっちに来てよ」という意味で、「来い」は「こ」と一音で言うこともあるし、「はっこ」と言ったら早く来いということ、という話はともかく。母ちゃんはひどく深刻ぶった声で顔をしかめているの。
「あのよ。金がねぇんだよ。この前、100万円郵便局からおろして、あれとこれを払って、残りが45万円はあるはずなんだよ。それをビニール袋に入れて口を縛って、ここに置いておいたはずなんだけど、いっくら探してもねぇんだ」
家に鍵をかける習慣がなかった
亡くなった今だから言うけれど、母ちゃんはずいぶん長いこと、家に鍵をかける習慣がなかったの。「鍵なんかかけたら留守だって言ってるようなもんだっぺな」と言って。都会では考えられないことだけど、ある時期まで田舎ではそういう家が珍しくなかったんだよね。
で、印鑑や通帳などの大事なものはどこに保管しておくかというと、たいがいは仏壇の下の引き出しやその周辺。ご先祖様が泥棒よけになるとは思わないけれど手は出しにくいかもね。で、わが家もそうだったんだけど、手元金の保管はどうするかというと母ちゃんはいつもの席の後ろの押し入れの下段。
というと、わかりやすそうだけど、とんでもない。引き戸をガラッと開けると三段の整理ダンスで、その周辺には化粧品やら編みかけのチョッキやら、町の広報紙、電話帳。それと数えきれないほどのレジ袋よ。片づけられない人の家の定番で、口を縛って何が入っているかわからないレジ袋が山積みになっているの。要は見ただけで片づける気が失せるゴミだめよね。そこに現金の入ったレジ袋を紛らせておくのが母ちゃんの防犯対策だったの。