ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。昨年、「卵巣がんの疑い」で手術を経験。その後、境界悪性腫瘍と診断された。かつては抵抗感があったという婦人科での診察に、どのようにして慣れていったのか――。オバ記者が綴る。
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“忌まわしい内診台”の記憶
先日、40代の友人R美とお茶していたら、「しばらく前から生理のたびに左下腹がキリキリ痛むんだよね」と言いだしたの。私はすかさず「婦人科検診に行ったほうがいいよ」と言ったわよ。
するとR美は、「だよねぇ。そうなんだよねぇ。それしかないんだよね」と、壊れた録音機みたいにそればっか。何言ってんのよ! そのとき私はR美の戸惑いがまったく理解できなかったの。
40代の女性と66歳で“女、アガリ”の私とでは、羞恥心の度合いが違う? いったんはそう思いかけたけど、いやいやいや、それだけじゃないと思う。今は“そんなこともあったっけ”という感じで思い出すこともなくなっているけど、思い起こせば私、昨年の8月、9月は“卵巣がんの疑い”で、病院に行けばパンツを下げていたの。そしてあの忌まわしい内診台に上がっていたのよね。
それをイヤだと思ったのは、初期にかかった婦人科専門病院だけ。そこは内診台のすぐそばにドアがあり、そのドアを開けたところに待ち合いコーナーがあったの。そこで何も知らない小学3、4年生ぐらいの男の子が科学雑誌を読んでいたときは、彼のママと病院の無神経さに猛烈に腹が立って抗議したっけ。
「医師にとっては日常」ストンと腑に落ちた
だけどその時だけで、その後、精密検査のために大学病院に移ってからは、内診に心を動かされることがまったくない。大学病院で出された“卵巣がんの疑い”という診断を前にしたら、パンツを下げることなんか、痛くもかゆくもない、ということだけど、それだけじゃない。要するに、慣れたんだよ。
「はい、じゃあ、そこでショーツを脱いでこの椅子に座ってください」と看護師さんに言われると、はいはいはい。何のためらいもない。てか、そのつもりで脱ぎやすいゆるめの下着をはいてきているもの。羞恥心が動かないという意味では、腕を見せて、足を見せてと言われるのと、ほぼ同じよ。そこまで慣れた、ということだけど、もうひとつ。内診台の向こうにいる担当医にも慣れたんだと思う。医師にしてみれば、内診は仕事で日常。それが何度目かの診察でストンと腑に落ちたんだわ。
2か月前の定期検診でのこと。いきなり膣にぐいぐいと器具を入れられた。耐えがたいほどではないけれど、「ギャッ」と声が出そうになるくらい痛い。その瞬間、「ああ、傷口がきれいにふさがっていますね。はい、大丈夫ですよ」と、器具を抜かれながら、いつもと同じ担当医の声を聞くと、「ああ、よかった」と心底、ほっとした。来月末にも同じ検診をする。その日の翌日に旅に出ようかなとか、そんなことを考えている私。
医師が婦人科の患者になったらどうか?
だけど医師が婦人科の患者になったらどうか。先日、2年前に30代半ばでママになった女医、M子にそのあたりを聞いてみたの。彼女と私の出会いは10年前のローマの安宿で、ひとり旅のM子に「オバちゃんと今夜、夜遊びしない」と誘ったのが始まりだ。そのとき以来、いくつかの偶然が重なって、今でも交流が続いている。
「で、お産のとき、誰に子供を取り上げてもらうか、考えるものなの?」と聞くと、「そりゃあ、めちゃ考えたよ」というの。
M子が、「あり得ない」としたのは、親しい男友だちの産科医。研修医のときから苦楽を共にして信頼していても、「だからこそ、自分の出産を見られるのはムリ」だって。それなら親しい女友達の医師ならどうかというと、「う~ん。男友達よりはマシだけど、それでもできたらお願いしたくないかな」。で、最終的に落ち着いたのが、縁もゆかりもない大病院を選んだんだって。
「やっぱり日頃、出していないところを、友人に見せるのは抵抗あるって。それは医師でも関係ないよ」って、そりゃそうだよね。