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《能登半島地震の被災地訪問のご意向》天皇皇后両陛下がこれまで震災の際に見せられてきた被災者に寄り添われるお姿

東日本大震災の際にも被災者を励ましてこられた(2011年6月、Ph/JMPA)
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2024年1月1日に起きた能登半島地震で、甚大な被害が明らかになっている。天皇皇后両陛下は1月5日、侍従長を通じて石川県の馳浩知事に犠牲者へのお悔やみと被災者へのお見舞いの気持ちを伝えられました。そして西村泰彦宮内庁長官が11日の定例会見で、「被災地のことを非常に心配され、直接お見舞いに行きたいお気持ちと拝察している」と明らかにしました。今後、現地の状況を見極めながら宮内庁が検討していくことになりそうです。天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下はこれまで震災が起きた際に被災地を訪問され、被災者の気持ちに寄り添われてきました。多くの人を励ましてこられたそのお姿を振り返ります。

涙ぐまれながら被災者の肩に手を添えられた雅子さま

東日本大震災の発生から約1か月後、2011年4月6日に福島県などから避難してきた人々が身を寄せる東京・調布市の味の素スタジアムを訪問された天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)。両陛下は、床に膝をつき、靴をはいたまま正座され、被災者の話に耳を傾けられていました。

東日本大震災の被災者の話に耳を傾けられる陛下と雅子さま
東日本大震災の被災者の話に耳を傾けられる陛下と雅子さま(2011年4月6日、Ph/JMPA)
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東日本大震災の被災者の話に耳を傾けられる陛下と雅子さま
靴のまま何度も正座をして被災者の話を聞かれるおふたり(2011年4月6日、Ph/JMPA)
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同年5月には埼玉県の三郷市立瑞沼市民センターで被災者をお見舞いし、その後は6月に宮城県、7月に福島県、8月に岩手県をご訪問。療養中で、体調が優れないなかでもお見舞いを続けられた雅子さまの、被災者を励ましたいという強いお気持ちがうかがえます。

2011年5月に東日本大震災に伴う避難者お見舞いに訪れた雅子さま
避難所を訪れ被災者に励ましの言葉をかける雅子さま(2011年5月、Ph/JMPA)
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2011年5月に東日本大震災に伴う避難者お見舞いに訪れた陛下と雅子さま
お見舞いをされる陛下と雅子さま(2011年5月、Ph/JMPA)
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おふたりが最初に被災地に訪ねられたのは宮城県岩沼市でした。津波の影響で家などが流された被災地で、おふたりが並ばれ、黙礼をされました。

家などが流された被災地を訪ねられた天皇皇后両陛下(2011年6月、Ph/JMPA)
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被災地で黙礼をされた(2011年6月、Ph/JMPA)
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東日本大震災、最初に訪ねられた被災地は宮城県岩沼市だった(2011年6月、Ph/JMPA)
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その後、避難所の山下小学校体育館をご訪問。雅子さまは涙を流す被災者女性の手を握られ励まされました。また、福島県郡山市では、雅子さまが涙ぐまれながら、被災者の肩に手を添えられる場面もありました。

被災者女性の手を握られ励まされた場面も(2011年6月、Ph/JMPA)
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6月に宮城県、7月に福島県、8月に岩手県をご訪問(2011年6月、Ph/JMPA)
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正座をされ、被災者とお話をされる天皇皇后両陛下(2011年6月、Ph/JMPA)
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上皇上皇后両陛下は7週連続お見舞いに

東日本大震災発生から5日後、6分間のビデオメッセージで被災者を激励、救助にあたる人々を労われた上皇陛下(当時は天皇陛下)。美智子さまとともに東京武道館、埼玉県の旧騎西高等学校、千葉県旭市、茨城県北茨城市を訪問され、その後、宮城県、福島県、岩手県の被災3県を回られました。2011年3月30日の東京武道館から5月11日の福島県相馬市のご訪問まで、7週連続でお見舞いに向かわれた上皇ご夫妻。一人でも多くの被災者を励ましたいというお気持ちが伝わります。

東日本大震災の後、初めて東北の被災地を訪ねられた上皇ご夫妻(2011年4月、Ph/JMPA)
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膝をついて、被災者と同じ目線の高さに合わせられた美智子さま(2011年4月、Ph/JMPA)
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宮城県、福島県、岩手県の被災3県を回られた(2011年4月、Ph/JMPA)
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東日本大震災発生から5日後にビデオメッセージを発表された上皇さま(2011年4月、Ph/JMPA)
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美智子さまのスイセンが復興のシンボルに

1995年1月17日の阪神・淡路大震災では発生から2週間後、余震が続く被災地に向かわれています。

余震が続く被災地に向かわれた上皇ご夫妻(1995年、Ph/JIJI PRESS)
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同年1月31日、焼け野原となった被災地に、美智子さまが皇居で摘まれた17本のスイセンの花を手向けられました。この献花から、スイセンの花は復興のシンボルとなりました。現在、献花された場所は「すがはらすいせん公園」と名付けられた公園になっています。

美智子さまが献花されたスイセンの花は復興のシンボルに(1995年、Ph/JIJI PRESS)
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外国訪問の日程を切り上げて被災地へ

1995年1月にはクウェート、アラブ首長国連邦、ヨルダンの中東3か国を訪問されていた天皇皇后両陛下(当時は皇太子)。日本を出発する3日前に阪神・淡路大震災が発生し、海外訪問の日程を短縮されました。

帰国後、被災地を見舞われた両陛下。この頃から、上皇ご夫妻のように膝を床につかれ、被災者と目線の高さを合わせてお話しされる姿が見られるように。このスタイルは令和になっても継承されています。

上皇ご夫妻のように被災者と目線の高さを合わせられる両陛下(1995年、Ph/JIJI PRESS)
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即位後初めて東日本大震災の被災地を訪問

2023年6月3日、即位後、初めて東日本大震災の被災地を訪問された天皇皇后両陛下は、岩手県陸前高田市にある東日本大震災の追悼・祈念施設で供花、拝礼され、津波で残った「奇跡の一本松」を視察。その後、天皇陛下のお気持ちが公表されました。

全国植樹祭に参加されるため岩手県ご訪問の天皇皇后両陛下
即位後、初めて東日本大震災の被災地を訪問された(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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全国植樹祭に参加されるため岩手県ご訪問の天皇皇后両陛下
インナーもグレーで完璧なワントーン(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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全国植樹祭に参加されるため岩手県ご訪問の天皇皇后両陛下
お気に入りのパールのネックレスをセレクト(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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全国植樹祭に参加されるため岩手県ご訪問の天皇皇后両陛下
7年ぶりに岩手県を訪問された(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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「本日の訪問を通じて、さまざまな基盤整備が進んでいることがわかり、喜ばしく思いました。一方で、東日本大震災により家族や友人を失ったり、地域コミュニティの消失などにより、いまだ心の傷が癒えない方が大勢いることを改めて聞き、本当の意味での復興にはまだ課題も残されていると思いました。

引き続き、被災地に心を寄せていきたいという思いを新たにしています。被災地の人々が真に安心して暮らせる日が来ることを切に願っております」

今回の能登半島地震でも今後、被災地を訪問されると思われますが、天皇皇后両陛下のお姿は多くの人を勇気づけることでしょう。

追悼・祈念施設で供花、拝礼された天皇皇后両陛下
高田松原津波復興祈念公園の「海を望む場」で供花されるお二人(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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追悼・祈念施設で供花、拝礼された天皇皇后両陛下
ハリのある生地が上品さを底上げ(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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追悼・祈念施設で供花、拝礼された天皇皇后両陛下
足元までネイビーでおまとめに(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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追悼・祈念施設で供花、拝礼された天皇皇后両陛下
高田松原津波復興祈念公園で、奇跡の一本松を見上げられた両陛下(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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奇跡の一本松を眺められる(2023年6月3日、Ph/JMPA)
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