
1987年のデビュー以来、精力的に作品を発表し続けるも、昨年11月、61歳という若さで逝去したシンガーソクライターのKANさん。訃報から数か月が過ぎた今も、ファンやミュージシャン仲間たちからの追悼の声は止みません。ライターの田中稲さんが、デビューから晩年まで名曲が多いKANさん珠玉のラブソングの世界を紹介します。
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先日ラジオでKANさんの『世界でいちばん好きな人』(2006年)が流れてきた。そのやわらかいメロディと声に、つられて自分も歌ってしまう。「せ〜かいで〜いちばん好きな人」……。ああ、「好き」という言葉はなんと温かい温度を持って、心に届いてくるのか!
KANさんのヒット曲いえば、やはり真っ先に思い出されるのは『愛は勝つ』(1990年)。イントロ、歌詞、歌いっぷり、「愛」というぼんやり壮大なテーマに「勝つ」という言葉を持ってきた勇気など、トータルで押し寄せる感動。フルコーラスが終わった後「ブラボー!」と叫びたくなるほどの聴きごたえである。

しかし、彼の名曲はこれだけにあらず。恋の喜び、悲しみ、空回り、イライラ、あらゆる角度から浮かれもんどりうつラブソングがたくさんあり、こちらもすさまじくいいのだ。
懐かしいところでは、1993年、三ツ矢サイダーCMに起用された『まゆみ』。小島聖さんの可憐な姿と「可もなーい不可もなーい♪」という心地のいいメロディをセットで思い出す方も多いだろう。
ここで歌われる「世界で一番美しい水」の正体が、究極にロマンチックで尊いので、アンサーはぜひ楽曲を聴いて確かめほしい。できれば周囲に固いモノが落ちていない場所で。なぜなら、切なすぎて床に転がりたくなるから!
折しももうすぐバレンタイン・デー、ラブソングを聴くには最高の季節である。この際、部屋の片づけをして床をクリーンにしたうえで、思い切りゴロゴロ転がりながら、KANさんのラブソングに浸ろうではないか。

「好き」を心で呟くKANソングの主人公
KANさんのラブソングに出てくる主人公の多くは、「大好き」とずっと心で呟いている人だ。たくさんの愛の言葉がギュッと詰め込まれているのに、それを口で言わず、視線で言っている感が伝わってくる。じーっと目で語る、心で語る。
『永遠』(1991年のアルバム『ゆっくり風呂につかりたい』収録)も『エキストラ』(2020年のアルバム『23歳』収録)も、好きな気持ちが喉に詰まって、呼吸困難になりそうな姿を勝手に想像してしまう。『こっぱみじかい恋』(1992年)なんて、言いたいことがほとんど言えないうちに恋が終わっている。だから聴くたびに、「グゥッ」と声にならない声が出る!
勇気が出ずに飲み込んでしまう「好き」という言葉。「あのね」「うんとね」とモジモジするところまで絶妙に歌ってくれるので、なんだかもう、そのモジモジ含め、全てが恋の醍醐味と思えてくるのだ。
12thシングル『言えずのI LOVE YOU』(1992年)は、片思いの経験がある人ならもれなく、首がもげるほどに同意したくなるだろう一曲。これを聴きながら、若かりし頃の甘酸っぱい思い出がよみがえってくる方もいるはずだ。

私もその一人。大昔のバレンタイン、好きな人に渡すべく、手作りチョコに挑戦したことがある。しかし本に載っていたレシピは、板チョコを溶かしてミルクやら砂糖やらを増量し、形を変えて固め直すだけ。「これを手作りと言っていいのか」と疑問を持ちながらも作り(固め)、そして岩のように無様なチョコが出来上がった。好きな人にあげるなど到底無理で、全て己で食し歯が痛くなるという、ものすごく無意味な時間を過ごした。
もし私の学生の頃にKANさんの歌があったなら、『言えずのI LOVE YOU』を聴き、その不器用さも恋の醍醐味、と奮起できたはず。そして、できあがった岩のようなチョコレートを自分で食べず、リボンをかけ、ちゃんと渡せた気がしないでもない。


『ArtistCHRONICLE』2月マンスリーに登場
たくさんの表現が束になっているのに、胸に届くと、それがほどけて、ふわっと「好き」という気持ちがシンプルに広がるKANさんの歌とピアノの音は、「不器用だと思われてもいい。空回りしてもいい。素直になってみるか……」と、モジモジ前に組んでいた手を、大切な人へと差し出そうと勇気をくれる。
すでに両想いの方にも効果は絶大だ。「愛していると言葉にせずともわかるだろう」族はせめて、『何の変哲もないLove Song』(2005年の限定盤『何の変哲もない Love Songs』収録)、『50年後も』(1999年のアルバム『KREMLINMAN』収録)をお相手と一緒に聴いてほしい。お望み通り、言葉にせずとも愛が伝わり、幸せ増量だ。
KANさんの楽曲はアルバムも名曲が多い。CDのほか、サブスクも解禁されているが、2月はほかにも、大阪のFM COCOLOとSpotifyによる、1か月に1アーティストを掘り下げる企画『ArtistCHRONICLE』で特集が組まれている(https://cocolo.jp/site/pickup_detail/2503)。こちらは楽曲だけでなく、音楽仲間による彼のエピソードも楽しめそうだ。
KANさんの歌は、恋する人たちの横にいて、一緒に七転八倒してくれる。きっとこの瞬間も、誰かの背中を押している。
そして、誰かをつなぎ、永遠に響く。

◆ライター・田中稲

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka
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