
全国あちこちから桜の便りが聞こえ、桜前線が一気に北上する春本番。福山雅治の『桜坂』、森山直太朗の『さくら』、宇多田ヒカルの『SAKURAドロップス』など、この季節に聴きたい「桜」の定番曲・名曲は数あれど、ライター・田中稲さんのイチオシは、女優・歌手として活躍する松たか子(45歳)の楽曲です。その理由を田中さんが綴ります。
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今年の春はとてもせっかちのようである。3月14日、東京で桜(ソメイヨシノ)が開花。これは史上1位タイの早さだそうだ。満開予想も全国的に例年よりも早いと出ている。
楽しみなのだが、春は気温の変化と景色の移ろいが急で、気が小さくアレルギー持ちの私としては、心身ともにざわつく季節でもある。なんとか「揺らぎの春」ではなく「スタートの春」というハッピーな方向に意識を持っていきたい!
その強い味方となるのが、音楽である。特に松たか子さん。この人の歌があれば気持ち的に百人力だ。『明日、春が来たら』『サクラ・フワリ』『桜の雨、いつか』など、春を思わせる歌が多く、やわらかいのに不思議と力強い。しかも松さんは歌だけでなく、現在出ているCMも「日産サクラ」! これはもう、多くの人が「春、桜(サクラ)といえば松たか子」という共通認識ができている証拠だと勝手に解釈している。新たな季節の到来と、良い予感を運んできてくれる凛とした姿と声だ。

デビュー曲の作詞は脚本家・坂元裕二
彼女のデビュー曲『明日、春が来たら』(1997年)を初めて聴いたとき、「シンプル・イズ・ベストとはこのことか」と感動したのを覚えている。なんというか、90年代にあったお酒のCMにあった「何も足さない、何も引かない」というイメージ。余分なものがなくて、心の栄養がふんわりオブラートで包まれ溶けていくみたいな気分になる。そして自然と前を向ける。
この曲のプロデュースを手掛けた永山耕三さんは、松さんがブレイクするきっかけとなった月9ドラマ『ロングバケーション』の演出家。後年知ったのだが、なんとこの曲のイメージは、あだち充さんの伝説のマンガ『タッチ』の浅倉南なのそうだ。そういえば、白いボール、ウイニングボール、スパイク、スタジアム……! 野球のシーンが歌詞に多く入っている。

「松が16歳の頃に自分と出会っていれば、絶対に浅倉南の役をやらせたのに」という永山さんの後悔がこの歌につながったというが、浅倉南はなかなかのパンチを持つキャラだ。私もアニメを見たが、あまりにも完璧過ぎるヒロインフレイバーが鼻につき、さらに南ちゃんにイラつく自分の心の狭さに自己嫌悪に陥るという、救いようのない負のループに陥った。松さんが演じていたら、松さんにまでイラついていたかもしれない。歌で良かった。
ちなみに作詞を手掛けた坂元裕二さんは脚本家で、この曲から20年後、ドラマ『カルテット』(2017年)で松さんとタッグを組むのだ。その後も坂元さん脚本、松さん主演によるドラマは『スイッチ』(2020年)、『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年)と続き、いずれも大きな評価を得ている。なんとも、エモーショナルな歴史を感じる1曲である。
四半世紀前から「春のパンまつり」の顔に
さて、春が来ると松さんを思い出すのは、もう一つ「ヤマザキ春のパンまつり」のイメージも大きいだろう。松さんが山崎製パンのCMキャラクターになったのは1994年から。そしてパンまつりCMに参加したのは1998年から。25年間、2月末から4月末まで行われるパンまつりを松たか子さんにお知らせされているのだ。彼女を見ると「いやー、スプリング・ハズ・カム!」と思うのも当然の長さ! しかもこの「ヤマザキ春のパンまつり」自体、非常に根強い人気を誇っているという。

失礼ながら、キャンペーンの景品はなんの変哲もない白い皿である。なぜここまで人気があるのだろう。シンプルだから使いやすいのか。それとも単価的にキャンペーン的に乗りやすいからだろうか……。
気になって調べてみると、この皿、食器としてレベルがとても高いのだそうだ。高級レストランも採用している「アルク社」製品で、しかもパンまつりのためのオリジナルデザイン。一見陶器に見えるが耐熱性の強化ガラスで、ものっすごく頑丈だという。電子レンジでチンもOK。なるほど、長年愛されるには理由があったのだ。私も今年は参加しよう。間に合うか!?

「変化を受け入れる自立感」が強く聴こえる松の歌
白い皿の魅力は、潔いほど飾りを取り除いた美しさと強さ。まさに松さんとリンクするではないか。歌、CM、演技。どれをとっても彼女のイメージは「上質」である。華美ではなく、ありのままの素材をピカピカに磨いている、そんな感じだ。

彼女の歌には春や桜のほかにも、風、夢、ひとりといった、ふんわりと切ない言葉も多く登場する。けれど、「流され消えていく悲しさ」より「変化を受け入れる自立感」が強く聴こえてくる。凛とした姿勢で、季節の巡りを感じ、進むべきほうを見ている。そんな覚悟が決まった美しさを感じるのだ。
儚さが、こんなにポジティブに伝わってくる佇まいや声を持っている人はなかなかいない。
さあ、どんと来い、春。私も彼女の歌を聴き、揺れず新しい季節を迎えるぞ。



◆ライター・田中稲

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka