合理主義者の薄井シンシアさん(64歳)がリーダーになったら、どうなる? 17年間の専業主婦を経て外資系ホテルの日本代表を務めたシンシアさんの元には、シンシアさんの記事を片手に突撃してきた人や、面接で涙を流した人がいたと言います。彼女たちに対する態度から、シンシアさんの新たな一面が見えてきました。
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目標達成には部下に「ツール」を渡す
外資系ホテルの日本代表を務めていたとき、私がリーダーとして心がけたのは働きやすい環境づくりです。
例えば、ホテルの営業で「もっとイベントを売り込もう」と考えたとします。でも部下に指示するだけでは、商品は売れません。「イベントを売り込むパッケージをつくりましょう」「パッケージを作ったら、宣伝用の写真を撮りましょう」と具体的にツールを提案して、チームを目に見える形で導くことが大切です。
目標を決めたリーダーは、一方的に指示するだけでなく、目標を達成するための「ツール」も部下に渡すことが大事だと思います。
シングルマザーを積極的に採用
従業員の環境整備も大切です。サービス業は定時に帰ることができません。私は退勤時刻になると、従業員に「時間ですよ」「帰ってください」と声をかけていたし、引き継ぎが残っていても「私が代わりにやるから」と帰宅を優先させました。
ただ、働きやすい環境をつくるには十分な人数の従業員を確保することも必要です。とはいえ経営的には限界があります。そこで私は、私自身やオペレーションマネジャーが欠勤者の代わりを務められるように、常に従業員たちの働き方を把握していました。シングルマザーも積極的に採用しましたが、彼女たちはさまざまな理由で欠勤が多くなります。そのため、カバーできる人数を考えながら雇いました。
ただ、頻繁にフォローすると、甘え始める人も出てきます。甘える人は大抵、ミスが多い。だから「仕事になってないよ」「なぜミスをするの?」「あとは私が引き受けるけど、ミスは直しておいてね」と、仕事内容について厳しく声掛けをすることもありました。
誕生日にはさりげないプレゼント
社員の誕生日には、1000円ぐらいのプレゼントを渡していました。プレゼントは、THE BODY SHOP(ザ・ボディショップ)のハンドクリームやロクシタン(L’OCCITANE)の石鹸などの消費するもの。街中に出たときに「こんなものがあるんだ」と記憶しておき、社員の好みに合わせてプレゼントします。出産した人にベビーグッズを贈ったこともあります。
日本法人の代表で無いときでも、職場の同僚の誕生日に「一緒に食べようかな?」とスナックを買っていったりします。私は年長者で、時間的にも金銭的にも余裕があるので、できる範囲で、ささやかなお祝いをしたいなと思っています。
私の記事を握って東北から訪ねてきた
日本法人の代表を務めていたとき、私の記事を読んだ女性が、突然、ホテルを訪ねてきたことがありました。私が働いていたら、記事を手に握った女性が「薄井さんですね」と話しかけてきたのです。私は「そうだよ」と答えて、彼女の身の上話を聞くことになりました。
彼女は東北に住んでいて熟年離婚をしたばかり。東京に住む子どもの元へ出てきたけれど、仕事が無いのでホテルで雇ってほしいということでした。もし私に会えなかったら「ホテルに履歴書を預けていったん帰るつもりだった」といい、履歴書まで持参していました。
私は「いまホテルの仕事で空きがあるのは清掃だけ。あなたは東北から出てきたばかりで何も知らないだろうから、とりあえず清掃員をしてみる? しばらく働いてから仕事を続けるかどうか決めたら?」と提案して、その場で彼女を3か月間採用しました。
3か月後、再び彼女と面談をして「ホテルで働き続けたければ、客観的に見て、あなたには清掃の仕事しかありません。時給1200円なら近所のスーパーやクリーニング店で働いたほうが楽じゃない?」と率直に言いました。
彼女も東京に3か月間暮らしたあとなので、都会の暮らしがわかってきたのでしょう。しばらくして、自分の意思でホテルの仕事を辞めました。彼女は離婚をして、子どもの生活が落ち着くのを見届けて、真剣に今後の生き方を考えました。これって、めでたい話でしょう? だから私は、最後の出勤日に彼女を食事に誘ってウナギをごちそうしました。
面接で涙を流した女性に「無料でホテルに泊めてあげるから仕事を知って」
ホテルの採用面接で泣き出した人もいました。彼女は関東近郊から応募してきた19歳。「どうしちゃったの?」と聞くと、コロナ禍で短大を卒業し、近所の工場に就職したものの、東京で働きたくて私のホテルに応募してきたそうです。
私は「ちょっと待ってね。こちらの事情も考えるからね」と、その場は帰宅させました。そして秋葉原店を開業したときに彼女へ連絡して「ホテルに一泊、無料で泊めてあげるから、ホテルの仕事を見てごらん」と伝えました。
東京に出てきた彼女は「やっぱり東京に出たい」と言います。でも東京に住むなら、家を借りて生活の準備をしなければなりません。すると彼女は「実家から通勤する」と言い出しました。
私は「実家から片道2時間かけて通うのでは仕事が務まらないよ。東京で働きたければ東京に住みなさい。就職する前に秋葉原のホテルに無料で1週間泊めてあげるから、泊まりながら、みんなと同じ仕事をしてみなさい。それでもホテルの仕事を続けたければ、そのときに考えましょう」と提案しました。
従業員一人一人にストーリーがある。それが出会い
彼女によると、母親は上京に賛成し、父親は反対しているといいます。そこで私は「冷静になろうね」と言って、彼女と共に、上京した場合のメリットとデメリットを整理しました。彼女の中で、「地元に残れば工場で正社員になれるけれど、上京はできない。ただ今は人手不足だから、地元に帰ればいつでも正社員として働けるだろう。上京したければ、今がチャンスだ」という考えが固まったようです。
そこで私は「それなら働いてみたら? もしよければ、私がお父さんに話をするよ」といい、彼女の父親に連絡を取りました。私は「こういう人間で、こういう仕事をしています。職場では彼女の面倒を見られるけれど、住む場所は、ご両親に探してもらうことになります。職場以外の責任は持てませんが、考えてみていただけませんか」と正直に現状を伝えました。
最終的に彼女は東京へ出てきて、私がホテルを退職するまで、うちのホテルで従業員として働いていました。彼女は東京に来たがっていただけあって、週末には地元から友達を招いて遊んだりしていたようです。とても真面目な子でした。
私は、彼女たちに職場の上司以上のことをしたかもしれません。でも、それでいい。私はこれまでさまざまな人の縁に恵まれて幸せな人生を送ってきました。それを社会に恩返ししたいと常に思っています。だから私の目の前で起きた出来事は恩返しをするチャンス。私によいことばかりめぐってくるのは、それがよい循環になっているのかもしれません。
外資系ホテルの代表を務めていたときに採用した人たちは、一人一人にストーリーがある。それこそが出会いだと思います。だって、面接中にあんなに泣き出しちゃったら放っておけないじゃない? 彼女との出会いは「いつか、こういう人たちにチャンスをあげたい」と考えていた気持ちを私自身が体現できた出来事でした。
◆薄井シンシアさん
1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ
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