
ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(67歳)。ゴールデンウィーク(GW)に、東京から実家の茨城までの約90kmを原付きバイクで走ることを決めた。果たして、無事ゴールすることができたのかーー。
* * *
60歳で“原付き免許”を取得
GWに入る前から、いやもっと前から考えていたことがあるの。それは原チャで茨城まで約90kmを走ること。それを言うと、11歳年下の弟は「ふ〜ん、いいべ」と肯定はするものの、その口ぶりは明らかに呆れている。ま、やめておけということよね。

なんたって車の免許を持たない私が原チャの免許をとったのは60歳の時。「はい。紫色のスクーター、左に寄って停まってくださ〜い」と警察に後ろからマイクで声をかけられて罰金を払うハメになること3回、いや、4回か。これに懲りてもう2度と違反はしないと心に決めた私は、人っ子ひとりいない夜の横断歩道だってキッチリ信号を守っている。

そんなこんなですっかり原チャが暮らしに欠かせないものになって、ロングツーリングも夢じゃないか? と思いかけたところにコロナ禍。その間に母親のシモの世話つき介護でそれどころじゃない。で、母親を見送った5か月後には自分の体に異変。6時間に及ぶ子宮と卵巣の全摘手術をして境界悪性腫瘍という病名をいただいた。早い話、”がん未満”ということなんだけどね。
GW直前に「私、行けるかも」
開腹手術って、65歳まで一度も体にメスを入れたこともなかった私は、それがどういうことかわかっていなかったの。ビックリするくらい体力がなくなったのよ。ちょっと無理をすると3日後、4日後に動けなくなる。ん? これって、手術だけのせいか? 65歳を過ぎるとガクンと落ちるというから、そのせいもあるのかもな。

今年の3月なんか風邪が抜けきれず月の半分は一日中ベッドの上でゴロゴロしていたもの。こんな時っていいことは考えないよね。ロングツーリングしたいと夢見たことも思い出さなかった。
それが何、GW直前になったら、「私、行けるかも」という芽が体の奥からふいてきたのよ。で、スマホで天気予報を見たら晴天。バイク乗りには最悪の風もない。これは行くしかないでしょ。てか、今日行かなかったらもう一生、茨城まで走ることはないだろうなぁ、とかなんとかね。けっこうな決心をして東京で原チャにまたがったのが午前11時。

バイク乗りって革のジャンプスーツとか、いかめしい格好をしているけど自分で乗ってみるとよくわかる。風を切るとそれだけ体力が奪われるんだよね。走り出すと思ったより寒いし。で、私は風除けと体温調節にスプリングコートを着たの。車からもよく見えるように緑色にしたのは安全対策。
日が暮れる前にたどり着けるか…
こうして日光街道、国道4号線を北に向かって走って走って、気がついたら2時間。埼玉県から茨城県に入ったところの道の駅でトイレ休憩にした。弟に電話をすると「あと1時間くらいだな。気をつけてな」とな。
でも、正直言って、大きな道路を走るのはここが限界だったんだよね。連休のせいかトラックは少ないけれど、それでも大きな車に追い越されるときに「ヒェーッ」と声をあげそうになるのよ。それに疲れて、車の少ない道路をナビで探してしたら道に迷って1時間近いロスタイム。
日が暮れるまでに弟宅まで辿り着けるのか…そんな不安がよぎり出したときに現れたのがグリーンラインだったの。茨城の田んぼ道を貫く二車線の広域農道なんだけど、はるか先に筑波山が見えるこの道といったらほんとにもう、夢のよう。たまに後ろから車が来るけど、ほとんどは独占だもの。道というより、この景色、全部、独占!

こうして弟の家に着いたら3時半を回っていた。てことは4時間は走っていたんだよね。
「お義姉さん、顔、変わっているよ。疲れてるっていうより、むくんでいる。てか、口が前に突き出している?」と義妹。そういえばバイクに乗っている間中、ずっと口に力を入れていた気がする。疲れもピークだったんだろうね。夜、布団に入ってからも身体がずっと揺れていたっけ。翌日と翌々日も、一応体は起こしていたけど、ぼーっとして使い物にならなかった。

それでもやりたかったことをやり切った爽快感と言ったらないんだよね。67歳。体力勝負の冒険は、持ち時間がまだまだまあると思えるうちにしなくちゃね。
今、私の原チャは茨城のバイク店で整備をしてもらっている。次はどこまで行こうかしら。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【399】67歳オバ記者、「捨て活」を再開 きっかけは29歳女性との渋谷での出会い、「私が看取る」と言われどうしたのか?