
6年前の2018年5月16日、天に召された西城秀樹さん(63歳没)。郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と称され、日本の歌謡界に燦然と輝く業績を残した彼の人気はいまだ衰えない。ヒデキの名曲4曲がリリースされた5月25日を「勝手に情熱記念日」と名付けて心酔するライターの田中稲氏が、余人を持って代え難いその魅力を綴る。
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新緑がその緑色とみずみずしさを鮮やかする5月。西城秀樹さんへの想いも強くなる季節だ。
5月16日は西城秀樹さんの命日。毎年、この日に近いアニメ『ちびまる子ちゃん』の放送日は、エンディング曲が『走れ正直者』になる。今年も5月13日放送回、♪リーンリン、ランラン、と彼の歌声が響いた。多くの人が、耳を澄ませ、体を揺らしたことだろう。
そして5月16日当日は、Zepp DiverCity TOKYOにて「西城秀樹BIG GAME 2024」が開催。Xの書き込みは参戦した人たちの称賛と興奮の嵐で埋め尽くされていた。フィルムコンサートにもかかわらず、この熱さ、この感動を令和に与えるヒデキよ……! 彼が放つパッションをどう表現すればいいのか——。

私は「炎の具現化」とよく書くが、そんなものでは足りないと毎回反省する。「吠える野獣」「色気の大火事」ぬうう、なんか違う。悔しくてあれこれ資料を読んでいたら、阿久悠さんが彼について記したこんな文章が目に飛び込んで来た。
「ある時、草原で突然の稲妻にうたれ奇跡の力を得た青年のように、選ばれた男のイメージであってほしいと思う」(『阿久悠 命の詩』講談社)
こっ、これよこれ! まさに「草原で突然の稲妻にうたれ奇跡の力を得た青年」!! さすが阿久悠さんだと舌を巻いた。
さらに阿久さんは、ヒデキを「持って生まれた花を備えている」と絶賛し、沢田研二さん、Charさんと並んで「日常性、私小説風支配が強い中で、エンターテインメントの灯のために、花を失わないでほしいと願う」アーティストとしている。
歌にロマンと絵空事を求めた阿久さんが、その夢を託した一人だったのだ。

5月25日を「情熱記念日」に
5月が特別な月なのは、彼の命日があるだけではない。なぜかヒデキの超情熱系名曲が、5月25日に集中してリリースされているからである!
大ヒットシングル、1973年『情熱の嵐』、1974年『激しい恋』、1975年『恋の暴走』、1978年『炎』の4曲。アルバムも加えるならば、1975年5月25日には『西城秀樹ゴールデン・ヒット・デラックス』もリリースされている。
私は昨年このミラクル・デイを発見し、勝手に「情熱記念日」に制定し記事にした。
今年も拡散しようとこれまた記事にしている。あわよくば、本気で、一般社団法人「日本記念日協会」によって、正式に認定される日が来ないかとまで夢見ている。
音楽関係が記念日になるのは前例もあるのだ。2016年には、DREAMS COME TRUEとかかわりの深い7月7日が「ドリカムの日」に、そして昨年はTM NETWORKの楽曲『Get Wild』のリリース日である4月8日が、「Get Wildの日」として、正式に記念日として認定されているのだ。ならば4曲(プラスアルバム1枚)もヒデキの名曲が出ているこの日、その資格は十分にあると思うのだが、どうかッ!
なぜこんなに5月25日リリースが重なっているのかは、さっぱりわからない。しかしヒデキに理由はいらない。きっと神様が、この日に情熱の炎を着火したのだろう。

音楽が鳴った瞬間、カメラ目線で…
ヒデキの魅力を書き出すと、本当にキリがない。絶叫すら音程を外さないという恐ろしい歌唱力。どんなに顔をくしゃくしゃにして歌っても美しい顔。単なるガニ股も華麗なポーズに見せる長い脚。
全方位隙が無い彼のステージは、歌だけでなく、イントロ、間奏も気が抜けない。
というのも、音楽が鳴った瞬間、ヒデキからの「求愛」が始まるからだ。カメラ目線で、恋焦がれる女性に追いすがるような表情を浮かべる。絶妙のタイミングで「ハッ!」という掛け声を入れ、バレエダンサーのように伸びやかに手を伸ばしたかと思えば、しゃがみこみ、右往左往する。まるで私の気を惹くように!
昔見たライブ映像では、カメラが追い付かず、画面にヒデキが映っていないときもあったが、それも疾走感という味になっていた。
歌は「歌う」だけではなく、体全体で魅せる表現である、ということを、彼のステージを見ると思い出すのだ。近年は動画でもイントロを飛ばして、サビから再生して観る人も多いらしい。だが、ヒデキ楽曲でイントロを飛ばすのは、お腹のすいた午後、バーモントカレーを食さないのと同じくらいにもったいないことである。
「音楽は永遠」を証明
音楽は永遠だというけれど、まさに西城秀樹の愛され方、楽曲の残り方は、それを証明している。『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』が鳴ると、今でも自然と口角が上がり、体が動いてしまうもの。
私の現在のブームは、『サンタマリアの祈り』である。国籍を軽く飛び越えるパッションと哀愁! この歌を歌っているときの彼はロマンス国の住人だ。
AIのイラスト生成ツールにて、「ロマンス国 人」と条件を入れたら、ヒデキの似顔絵が出てくると私は確信している。

病と闘いながら歌う姿を見せ続けた勇気
しかしなにより彼が素晴らしいのは、病と闘いながら歌う姿を見せ続けた勇気である。3度の脳梗塞を乗り越え、2015年、還暦を記念して発売した『心響 -KODOU-』は本当に驚く。病気と闘いながら一年間をかけて制作したセルフカバーアルバムだが、言葉が出ない、ろれつが回らないという後遺症に苦しんだと思えないほど、素晴らしい歌声なのだ。
還暦コンサート(2015年4月13日)でも、立つのがやっとという感じなのに、歌い出すと、滑舌も音程もしっかりしていて、若い頃に引けを取らない。私はその映像を見たとき、本当に力をもらった。大好きなものを再び取り戻そうとするパワーの尊さを見た気がしたのだ。
彼は自身の著書で、こう記している。
「前へ進む姿を見せていれば、多少歌の完成度が下がっても、切れのある動きができなくても、見る方たちは感動してくださる。引っ込み思案になることはない。ありのままの姿で堂々と人前に出ていけばいいのだ。」(『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版)
その還暦コンサートにサプライズ出演し、友情の抱擁を交わした野口五郎さんが、彼が亡くなった後、自身のコンサートで、「抱きしめたんです。すると(西城秀樹が)全体重をかけてきたんですよ。実は立つだけで精いっぱいだったんです。お前、そこまでして、そこまでして歌おうとしてたの……、って。驚きましたね」と、声を震わせながら回想していた。

そこまでして歌い、旅立ったヒデキは、今も新しいファンを増やし続けている。
そして、様々な世代による「ヒデキ大好き!」という歓声やコメントに、いてもたってもたまらず、青い空からスルスルとロープを伝い、「ハッ!」とシャウトしながら降りてきそうな気が、するのである。
◆ライター・田中稲

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka
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