
石原さとみさん(37歳)が主演を務めた映画『ミッシング』が5月17日より公開中です。映画『ヒメアノ〜ル』(2016年)や『空白』(2021年)などの吉田恵輔監督による本作は、失踪した娘を懸命に探し続ける母親の姿を克明に描き出すもの。観るのに勇気がいるシリアスな内容ですが、目を逸らしてはならない現代社会が抱える問題が詰め込まれた、観る者の心を激しく揺さぶる作品に仕上がっている。本作の見どころや石原さんの演技について、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説する。
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石原さとみが人間描写の鬼・吉田恵輔と念願の初タッグ
本作は、森田剛さんが主演を務めた『ヒメアノ〜ル』や、古田新太さんが主演した『空白』など、次々と話題作を手がける吉田監督のオリジナル最新作。誰もが持つ“影”の部分にフォーカスし、“人間そのもの”に肉薄する吉田監督の手腕は、「人間描写の鬼」とも称されるほど。
行方不明になってしまった愛娘を探す母の姿を描く今作では、彼女の存在を中心にして、マスコミの報道のありかたや、SNSでの誹謗中傷など、現代社会が抱える闇をも照射しています。

そんな本作で主人公・沙織里を演じているのは、石原さとみさん。娘だけでなく、いつしか自身の心までも失ってしまう過酷な役どころを演じ、これまでの彼女のイメージを覆すパフォーマンスを披露しています。
すべてのはじまりは2017年。「どんな役でもいいから、吉田さんの映画に出たいです」と石原さんが監督に直談判したのだといいます。それから数年のときを経て、念願の初タッグが実現。2024年を代表することになるであろう映画が、ここに誕生したのです。
失踪した娘を探すうち、自身の心も失っていく母
娘の美羽が失踪して3か月――。母・沙織里は彼女を必死になって探し、その帰りを待ち続けるも、世間の関心が薄れていくことに焦りを感じる毎日。
同じく事件の当事者であるはずの夫の豊とは温度差があり、夫婦喧嘩が絶えません。唯一この事件の取材を続ける地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々でした。
そんなある日、娘の失踪時に沙織里がアイドルのライブに行っていたことが世間に知られることに。たちまちネット上では“育児放棄の母”として誹謗中傷の標的になってしまいます。
世の中に溢れ返る身勝手な正義心や好奇心に晒され続けた結果、沙織里の言動は過剰なものになっていきます。そして、メディアの求める“悲劇の母”を演じれば演じるほど、彼女は自身の心を失っていきます。
いっぽう、テレビ局は視聴率獲得のため、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に世間の関心を煽るような取材をするように、砂田は上層部から指示されます。それでも沙織里は娘に会いたい一心で、この世の中にすがり続けるのです。
“吉田ワールド”を体現する俳優陣
吉田監督の作品というと、“人間そのもの”を見つめる作風もさることながら、キャスティングの妙にも唸らされるもの。石原さんが主演を務めていることもそうでしょう。本作にもユニークな顔ぶれが集い、俳優の一人ひとりが“吉田ワールド”を体現しているのです。
青木崇高さんが演じているのは沙織里の夫である豊。この夫婦には温度差があると先述しましたが、豊はいつだって真剣に家族のことを想っている人物です。ただ、置かれた状況からして感情的にならざるを得ない沙織里と比べて、彼はつねに冷静。青木さんが抑えた演技に徹することによりコントラストが生まれ、沙織里の暴走する孤独感を際立てているように思います。

テレビ局の記者・砂田を演じているのは中村倫也さん。“悲劇の母”を大衆の好奇の目にさらす役割を押し付けられ、葛藤するさまを繊細に演じています。砂田の葛藤こそ、本作が問題提起しているテーマのひとつ。静かな演技で石原さんの力演を受け、そして支え、作品のクオリティを底上げしている印象です。

さらに、世間から疑いの目を向けられる沙織里の弟・圭吾を森優作さんが、砂田の部下である新人記者を小野花梨さんが演じているほか、有田麗未さん、小松和重さん、細川岳さん、カトウシンスケさん、山本直寛さん、柳憂怜さん、美保純さんらが結集。それぞれのポジションから、観る者に問いを投げかけます。

そして、このような面々を率い、俳優として新たな一面を見せているのが石原さとみさんなのです。
石原さとみが立ち上げる“人間”
石原さんに対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
やはり多くのかたが“華々しいスター”のイメージを持っているのではないでしょうか。『ミッシング』のような作家性の強い作品よりも、映画『忍びの国』(2017年)や『そして、バトンは渡された』(2021年)といった、万人に開かれたエンターテインメント作品に数多く出演してきた事実があります。
しかも、放送中の主演ドラマ『Destiny』(テレビ朝日系)や彼女の代表作のひとつである『アンナチュラル』(2018年/TBS系)などの成功から、“テレビの人”という印象が強くある。賛同されるかたは多いはずです。『Destiny』も『アンナチュラル』もめっぽう面白い。彼女が主演するドラマは純粋に観たいと思えます。つまり、テレビの世界に必要な人なわけです。
しかし石原さん本人は、「どこかで私自身が自分に飽きてしまっている感じがしていました。そして私が自分自身に対して“つまらない”と思ってしまっている部分は、おそらく世間からも同じように思われているんだろうなと」(プレス資料より)と考えていたようで、そんなときに吉田監督の作品に出会ったのだそうです。
吉田監督の作品はいつも、観る者の心をえぐります。劇中で起こっていることを無関係の立場から眺めていたはずなのに、気がつけばある種の当事者として引きずりこまれてしまう。作品によっては観るのに体力が要ります。本作はまさにその極地ともいえる一作。石原さんが立ち上げるのは、エンタメ作品に登場するどこか現実離れした存在ではありません。ごく身近にいるひとりの“人間”なのです。
役を生きる石原さとみ
本作の石原さんを見ていると、これがフィクション作品であることを理解しつつも、心配になってきます。疲弊していて顔色が悪く、そこにいるのはテレビで目にするあの石原さんとはまったくの別人。沙織里というキャラクターを演じるにあたり、肌や髪の毛といった細部までこだわったそうです。
細かなところまで役作りをする俳優は多くいますし、演技者なのであればやるのが当然といえば当然。けれども地上波のテレビドラマではそうはいきません。制作の体制がまったく違いますから、そこまで役を掘り下げることができなかったりする現状がある。テレビドラマと映画では重視されるところが違うのです。

けれども沙織里のように極限状態に追い込まれた人間を演じるならば、見た目の説得力も必要。彼女の毛髪の一本にまで、演技者としての石原さんの姿勢が表れています。もちろん、この姿勢が感じられ、見ていて心配になるのは彼女の外見だけではありません。内面だってそうです。
沙織里は非常に苦しい状況に置かれています。娘に関するほんのちょっとした情報が掴めただけで表情は生気を取り戻し、それがデマだったと分かると再び心がどこかへと消えていく。SNSなどによる世間の声に対しても、励まされたり、激昂したりする。感情の起伏がかなり激しいのです。
沙織里の心の状態が限界に達して過呼吸を起こしてしまうシーンなどは、誰もが目を背けたくなるものだと思います。それほどまでに生々しい演技で、シーン(=状況)を作り出しています。どこを切り取っても石原さんは、沙織里というひとりの女性として生きているのです。そこには一切の隙もありません。
これらの演技……いえ、役を生きる姿により、石原さんの真価を私たちは知ることになるはず。『ミッシング』は今後の彼女の俳優としてのキャリアに大きく関わる重要作だと断言できる作品です。本作が正当に受け入れられることで、エンターテインメント界にも少なからず影響を与えるでのはないかと筆者は思います。
誰だって人間
これは切実な問題を扱った作品であり、いくら映画とはいえ、「えぐられる」などといった安易な言葉では語ることのできない域にあるものです。

この『ミッシング』という作品が訴えているのは、他者に対する優しさと想像力の重要性だと思います。娘を探す母も、彼女を面白がったり批判したりする人々も、誰だって人間。ほんのちょっとしたことで立場は変わります。
本作が描く世界は、いまの社会の縮図だともいえる。あなたはどの立場にある登場人物に、自分自身を重ねるでしょうか。
※吉田恵輔監督の吉はつちよしが正式表記
◆文筆家・折田侑駿さん

1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun