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《波瀾万丈の人生》火野正平さん(享年75)「握手だけで妊娠」の”女性の敵”から「人類にモテた」最期まで

11月14日に亡くなった俳優の火野正平さん(時事通信フォト)
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また1つ、昭和の香りが消えてなくなった。俳優の火野正平さんが11月14日に死去していたことが11月20日、所属事務所の公式サイトで発表された。75才だった。

「優しく愛が深い」「究極の人たらし」

訃報を受けて、俳優の中野英雄(59才)はインスタグラムに、故人のモノクロショットを公開。「最後は奥様や家族に手を握られながら逝った先輩 素敵だよ 優しく愛が深い火野さん 貴方の笑顔が大好きです いつまでも大好きです 11月3日に電話くれましたね 嬉しかった あの時の声は忘れません また向こうで後輩やらして下さい」とつづった。

ちょうど1年前。テレビ『にっぽん縦断 こころ旅』(NHK)のロケで自転車を漕ぐ火野さんが、大相撲九州場所の高砂部屋の宿舎前を偶然通りかかった。

1年前、ロケ中に通りがかった高砂部屋の宿舎前で
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「うわー、お相撲さんだーー! 一緒に写真撮らせてもらっていいかなー」と言い、幕下の朝白龍が「いいっすよ」と応えると、無邪気な笑顔で抱きついてきたという。気さくな近所のおじさんのようなコミュニケーションに、朝白龍も「とても有名な俳優さんには思えなかった。1年前にあんなにお元気だったのに……かわいい笑顔が忘れられません」と振り返った。

また、フリーアナウンサー古舘伊知郎(69才)は、生出演したTBS系「ゴゴスマ」で、6年前に自身のトーク番組にゲスト出演した火野さんと、そのまま会食、スナックと飲み歩き、カラオケまでしたエピソードを告白。「究極の人たらしですよね。声が良くて優しくて、性別なんて関係ない。みんなをいい気持ちにさせる。人類にモテる人だったんだな」と偲んだ。

火野さんと同時代を生きた人々の中には、古館の「人類にモテる人」と独特な表現の裏に込められた彼の過去を、すぐに察知した者も多かっただろう。

火野さんは、1970、80年代の20~30代は「元祖プレイボーイ」として名を馳せて、のちの平成期に女性にモテた後輩の男性タレントたち、たとえばDA PUMPのISSA(45才)らは「平成の火野正平」と呼ばれたほどに、数々の浮名を流したモテ男だった。当時、日本中の誰もが、色男、女たらしとして認識していたのが火野さんだった。

数多の女優らと浮名を流し、自ら「最高は11股」と豪語

12才で子役でデビューして、21才で一般女性と結婚。一男一女を授かりながらも翌1971年には別居。新藤恵美(75才)、仁支川峰子(66才)、染谷まさ美(53才)ら、数多の色気ある女優や歌手との交際が報じられた。40年以上事実婚だった現妻との間の2人の子のほかにも、「少なくとも5人は子供がいる」などといわれて、ワイドショー番組全盛の1970~1980年代には、パパラッチされることも多かった。自ら「最高は11股」と豪語するほどだった。

「元祖プレイボーイ」として名を馳せていた火野正平さん(時事通信フォト)
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しかし、当時のワイドショー番組関係者は「あまりの女たらしぶりに、一般視聴者からは『プレイボーイ』、『握手だけで妊娠する』などと呆れられ”女性の敵”という印象もありましたが、実は交際女性たちからは、全く悪く言われなかったのです」と回想する。

例えば、不倫同棲で大バッシングを受けた小鹿みき(75才)は「私はただ、あの人と一緒にいるだけでよかった」と言い、望月真理子さん(享年50)も「あの人が真理子という女と暮らして良かったと思ってくれるだけでいいんです」と語っていた。前出の関係者は「女性たちから恨まれることが無かったのは、ひとえに火野さんの優しい人柄ゆえ。たしかに、ワイドショーや芸能雑誌に『女の敵』として追っかけられても、常に余裕のあるスタンスでした、悪評の全ても受け止められていた。業界関係者は皆『モテるのも納得』と思っていました」と振り返った。

悠々と自転車を漕ぐ”好々爺なタレント”に

大らかな雰囲気の昭和ならではの逸話の数々だが、まさに流れる雲のように自由奔放な芸能人生を歩んでいた。

自転車でも注目を集めた火野正平さん(2011年)
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晩年は、愛犬家な一面や、13年間続けたNHKの冠番組『にっぽん縦断 こころ旅』で、悠々と自転車を漕ぐ姿が印象的な、好々爺なタレントとして活躍した。冒頭の中野のように多くの共演後輩たちに慕われる大御所だった。自転車旅で出会う一般市民たちとも、老若男女問わずに自然体で接する姿で、全国各地で引っ張りだこだった。

この日のNHKの定例会長会見では、稲葉延雄会長も「いろいろな方に愛されていた番組でした。感謝でいっぱいです」と言われた。かつては、庶民にまゆをひそめられていた火野さんが、最期は公共放送のトップに最敬礼で偲ばれた。その素顔は、ただの“女たらし”ではなく、古館が評したように“人間愛”に溢れたものだった。

 

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