体が浮かんで川が見えた
臨終の間際、意識が薄れ、言葉を発することもできないような状況でも、看取りの際に家族が手を握り、「いままでありがとう」などと声をかけると、笑顔を見せる人もいる。
埼玉県に住むIさん(67才)は、母の死を前に、信じられない体験をしたと話す。
「骨折が原因で、体のいくつもの機能が急激に弱まり、肝臓がんも併発して入院も長期化していました。90才を過ぎていたので、お医者さんからは『あとはゆっくりと死に向かっていくだけです』というようなことを言われました。実際に、日中のほとんどを眠って過ごし、たまに目を開けても言葉を発することもなく、目線を上下させるくらいで、正直、私のことも認識できていたかどうか…。
それがある日、いつものように病室にお見舞いに行き、ベッドの横で母の顔を見ながらスマホを操作したときのことです。3才になる孫の発表会の動画を再生したら、母の手が急に伸びて、目から涙が。呼びかけに応じることもなくなって、もう耳も聞こえないと思っていたのに、ちゃんと声が届いていたんですね」
さまざまな研究から命が燃え尽きる直前に、脳波の増加が見られることがわかっており、これを終末期拡延性脱分極という。体から魂が離れる、いわゆる臨死体験が起こっている状態とみる研究者もいるようだ。
実際に、事故に遭った瞬間や病気の症状が悪化したときに「臨死体験をした」と語る人は少なくない。
芸能界でも、俳優の哀川翔(63才)が、「寝ているんだけど、おがくずの中に入ってるの。成長するときだったのかな、おれが。羽化して。カブトムシか、おれはって。おがくずの中で寝ててもしょうがないから、とりあえず出ようかと掘ったわけ。そしたら寝ていたおれが、おがくずをかくみたいにボーンと起きたみたい」と、原因不明の呼吸停止の間に起きたことを明かしている。
ほかにも、国際弁護士の八代英輝氏(60才)はこれまでに2度の臨死体験を経験したと告白している。その内容は、「高校生のときに乗っていたバイクが車と正面衝突し、体が投げ出されて意識がなくなる間に走馬灯がよぎり、色とりどりのお花畑と流れる川を見た」ことと、「以前受けた心臓カテーテル手術の最中に心停止が起こり、急に体が浮かんで横たわる自分の姿を見下ろしたかと思ったら、かつてと同じお花畑と川を見た」というもの。
このようにお花畑を見た、三途の川を見た、他界した両親に会った、などその内容はさまざまだが、こうした臨死体験についてもいま研究によって、その正体が明らかになりつつある。
何十年にもわたり、臨死体験について経験者と対話を重ねたバージニア大学名誉教授で精神科医のブルース・グレイソン氏は、研究の成果を「グレイソン・スケール」にまとめた。「時間の経過が早くなったり、遅くなったりしたか」「思考のスピードが速くなったか」など16の質問のうち、7つに当てはまれば臨死体験をしたという指数となる。これを活用し、2019年に開かれたヨーロッパ神経学会では、デンマーク・コペンハーゲンの医師たちが「一般人のおよそ10%は臨死体験の経験があると推定される」との調査結果を発表した。
臨死体験は単なるオカルト現象ではなく、極めて科学的に分析されつつあるのだ。
人体が動きや呼吸を止めた後も、脳はわずかな時間であっても活動を続けるとしたら―死の核心に迫るテーマであり、解明が待たれるが、医師が人の生死の最終判断を行う際にはどのような基準で判定を下すのだろうか。黒木さんが言う。
「医師は肺、心臓、脳の機能の停止を見ます。これを“死の三徴候”といい、すなわち呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔散大と対光反射の消失を確認するのです。これらがすべて確認されると、家族の前で死を告げることになります」
“ピンピンごろり”が理想の逝き方
前述の通り、人の死に方にはさまざまなパターンがある。老衰で眠るように亡くなることもあれば、病気が原因になることもあるし、不幸にも交通事故に遭って亡くなる事例も少なくない。
近年では、日本人の2人に1人が患うがんによる死亡率が上がっている。しかし黒木さんは、「がんと宣告されるとショックを受ける人は多いですが、それほど怖がる必要はありません」と話す。
「循環器疾患など突然亡くなる患者が多い病に対し、がんは余命半年と言われた人が4年生きたケースは珍しくありません。確かにがんは亡くなる直前に急激に症状が悪化していくのが特徴の病気ですが、適切な治療を施せば約60%が治りますし、がんが発見されてからも、年単位で日常生活を楽しむことができる期間が残されています。
痛みが大きいときには鎮痛剤を処方したり、精神安定剤などを服用してつらさを和らげることも可能です」
黒木さんは、「人生100年時代を迎えつつあるいま、理想の死に方を考えることが大切」と話す。一般的に理想的とされるのが、いわゆる“ピンピンコロリ”だろう。
しかし、黒木さんは、これからの時代は“ピンピンごろり”で逝くことを目指すべきと説く。
「ピンピンコロリで亡くなると残された人たちがショックを受けやすく、悲しみも大きくなります。“ピンピンごろり”は病気などで穏やかに寝込みながら死に近づいていく死に方で、亡くなるまでの間、ゆっくりと身の回りのことを考える時間が持てるのです」
その間、葬儀のことを家族と話し合い、家の片づけをしたり、遺言書を作成して死に備えていく。愛する人や友人に感謝することも重要だ。これこそが、本人も周りも満足できる理想的な死に方といえるのかもしれない。
医師で小説家でもあり、多くの患者を看取ってきた久坂部羊さんは、死を自然なものとして受け入れ、向き合うことの大切さを説く。
「死ぬことを前提に生きるということは決して不吉なことではないし、縁起の悪いことではないと思います。死は一日に朝・昼・晩があり、宇宙があることと同じように自然なこと。人間の力が及ぶものではないので、従う以外にありません。
しかし、命には限りがあると理解できれば、残された時間を有意義に過ごそうとポジティブに考えられます。むやみに延命治療にすがって苦しんだり、病院で過ごす時間が増えて大切な人と過ごす時間を失うことも少なくなるはずです」
死を直前にすると、精神的にめいってしまうことは少なくない。久坂部さんが提唱するのが、死に向けて“新・老人力”を身につけることだ。久坂部さんの亡くなった父親が実践していたことだという。
「動きがのろくなってきたら“ゆっくり力”が身についたと考え、効率的に動いたり考えたりできないことを“のんびり力”がついたと考える。老いによる不自由に対しても、“受け入れ力”を発揮すれば、“満足力”や“感謝力”が高まっていく。老いをポジティブに捉えれば、死を受け入れることができるようになるのです」(久坂部さん)
理想の死とは、人生に満足し、充分に生きたと感じ、心置きなくこの世から去っていくことだ。そのためには、死への理解を深め、あらゆる超常現象を恐れることなく最期を迎える心構えを日頃から持つことが大切なのである。
※女性セブン2024年12月12日号