2024 年夏、灼熱のフランス・パリで「圧巻の金メダル」「夢の世界一」を果たし、その名を世界中にしらしめた、やり投げ金メダリストの北口榛花選手(26才)。マラソン以外での陸上競技では日本女子初となる快挙で、パリ五輪から4か月経ったいまも注目の的だ。そして、世界を夢中にさせたのは華麗な戦績だけではなく、大輪の花のような「はるかスマイル」がある。今回、北口選手に独占インタビュー。見る人を魅了し、パワーを与える笑顔の秘密とは?
「スポーツの世界で生きる」と決めたとき、母は反対
「私、おしとやかに微笑むのがどうしても苦手で(笑い)。ついつい大きく笑っちゃうんです」
撮影中も、そう話しながら常に笑顔を向けてくれた北口選手。2024年のパリ五輪、やり投げで金メダルに輝いた彼女は、「北口スマイル」「榛花スマイル」とともに世界中から祝福された。
しかし、注目が高まったのはパリ五輪の1年前、2023年の世界選手権においてフィールド種目で日本女子初の金メダルを獲得したときだ。初の金メダル、世界選手権2大会連続メダルという偉業を達成したが、意外にも「やり投げ歴」は長くない。
「3才のときに水泳を始めて、小学校からはバドミントンも習い始めました。初めてやり投げをしたのは高校入学後。まったく身近でない競技でおもしろさはあったものの、やり投げを“本業”にするつもりはありませんでした。でもやっているうちに記録がどんどん伸びて、高校2年生のときにインターハイで優勝して、本腰を入れることに。“世界”を意識したのもこの頃です」
父はパティシエ、母はバスケットボールの元実業団選手だ。北口選手が「スポーツの世界で生きる」と決めたとき、母は反対していたという。
「小さな頃から、『スポーツ選手は輝いている人ばかりじゃない。笑顔でいられる人ばかりじゃないのよ』とよく言われていました。自分もプロだったからこそ、厳しさを知っていたんでしょう。結果が出ないときや伸び悩んでいたとき、よくこの言葉を思い返しました。そんな母ですが、パリ五輪では誰より張り切って応援してくれました(笑い)」
負けず嫌いな性格──彼女を知る人は、誰もが口を揃えて言うが、本人にも自覚はあるようだ。
「私、本当は泣き虫なんです。水泳をやっているときは、キックがうまくできなくて悔しくて、ゴーグルの中はいつも涙でいっぱい。涙の思い出しかありません」
大学進学後は、やり投げ強豪国であるチェコに渡った。
「読み書きよりも耳で覚える方が得意なので、言語はひたすら周囲の会話を聞いて習得しました。つらかったこととかをよく聞かれますが、あまり浮かばなくて…あ、チェコって洗濯と乾燥に6時間くらいかかるんですよ。洗濯機と乾燥機を使ってるのに。日本だったら2時間くらいですよね。日本に帰ってくるといつも洗濯がこんなに早く終わってうれしいって感動してます(笑い)」
投げる楽しさをもっともっとたくさんの人に知ってほしい
パリ五輪後は、拠点を置くチェコにいったん戻り、9月16日に日本に帰国。束の間のオフを楽しみ、10月には故郷である北海道・旭川で凱旋パレードを行った。
「オリンピックから結構日数が経っていたのに、すごくたくさんの人が集まってくれて、うちわやカードを作ってくれる人もいてうれしかったです。地元の友人にも会えて、競技以外の“いましかできないこと”を堪能しました」
旭川では、小中学生を対象とした陸上教室にも参加。小学生向けの「ジャベリックボール」という競技を楽しみ、投てきのお手本を見せると子供たちからは大きな歓声が。
「やり投げの魅力を子供たちに伝えることができて大きな意義がありました。投げる楽しさをもっともっとたくさんの人に知ってほしいですね」
母校・旭川東高校も訪れ、後輩たちからは「結婚願望」についての質問もあがった。
「もちろん願望はあります。でも、シーズン中はトレーニングのコーチやスタッフを含め同じ人と毎日会っているので出会いがなくて(笑い)」