健康・医療

《母親から子へと伝播する「腸内細菌」》最新の研究で明らかになる腸内細菌と健康の関係「健康な人は腸内フローラの多様性が高く、さまざま環境に適応できる」

腸内細菌は自身の健康に大きく影響する(写真/イメージマート)
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知能や運動神経、顔つきや骨格、身長や性格など、親から子が受け継ぐ「遺伝」にはまだ解明されていない謎が多い。そんな中、父親と母親それぞれの遺伝子からだけでなく、「腸内細菌」が持つ情報も子供に伝播することがわかってきた。体内の免疫細胞の約7割を持ち、“第二の脳”ともいわれるほど多くの神経細胞が存在する腸から、どんな情報が、どのようにして母から子に渡っていくのか。“腸遺伝”ともいうべき、新しい情報伝播経路を明らかにする。【前後編の後編。前編から読む

母親の腸内細菌と赤ちゃんのそれは30~40%類似している

私たちの健康を左右し、寿命にも影響を与える腸内細菌は、どのように親から子へ“遺伝”するのだろうか。

胎内で無菌状態の赤ちゃんは出産というプロセスを通じて母親から腸内細菌を受け継ぎ、その後、徐々に母親由来ではない微生物を体内に受け入れるという。辨野腸内フローラ研究所理事長で、「腸内フローラ」という言葉の生みの親でもある、腸内細菌学者の辨野義己さんが解説する。

「出産時、赤ちゃんの腸粘膜には、お母さんの腸内細菌が選択的に定着するのです。このため過去の研究によると、母親の腸内細菌と赤ちゃんの腸内細菌は30~40%ほど同じものと報告されています。その後、母由来の菌が外部からくる菌の定着を許したり排除したりすることを繰り返し、3才くらいになると初めて成人型の腸内細菌叢が形成されます」(辨野さん)

母親の腸内細菌と赤ちゃんの腸内細菌は30~40%ほど同じものである(写真/AFLO)
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腸内細菌は、さまざまなものから取り込まれ、形づくられる。早稲田大学理工学術院准教授の細川正人さんが解説する。

「産道を通る際、赤ちゃんがお母さんの常在菌を一時的に取り込むことが研究で確認されています。

また、出産後の母乳を介して乳児は栄養素だけでなく、母親の持つ常在菌を受け取ります。

それらはゲノムのように固定的に受け継がれる遺伝情報ではなく、乳児を取り巻く生活環境や食事を通じて、ごく自然に体内に微生物を取り入れ、成長とともに変化していくイメージです」(細川さん)

慶應義塾大学先端生命科学研究所特任教授の福田真嗣さんは、母親が子供を産む分娩口と、便を排出する排泄口が近い位置にあることには意味があると語る。

「胎児は母体のなかで腸内細菌を持たず、生まれてきた瞬間に目に見えないたくさんの菌にさらされます。母親の分娩口と排泄口が近くにあるのは、母親の腸内細菌に塗られて生まれることが人間にとって必要不可欠だからでしょう。うんちが汚くて胎児に有害なら、進化の過程で分娩口と排泄口は離れた位置にできるはずです。

腸内細菌の視点から見ると、母親の腸内細菌は生まれてきた子供に乗りうつって、垂直伝播しています。腸内細菌は母から子に乗りうつり、子と共生しながら次の世代を生き抜くのです」(福田さん・以下同)

これは人間だけの話ではない。

「カメムシは卵を産んで繁殖しますが、母親は産んだ卵の表面に共生細菌入りの分泌物を塗りつけます。そして孵化した子供が最初にそれを食べることで母親の共生細菌を受け継ぐ。

実験的に卵の表面をアルコールで消毒して菌を殺すと、孵化した子供はエサを食べても大きくなれずに死んでしまう。共生細菌を受け継ぐことで、命がつながるのです」

腸内細菌の伝播経路として産道が大きな役割を果たすがゆえに、帝王切開では自然分娩に比べ腸内細菌がうつりにくいことになる。

「医療の進歩によって、安全なお産のために帝王切開が可能になり、子供が腟以外から生まれるようになりました。その結果、生後1週間の子供の腸内には、母親の腸内細菌ではなく皮膚の細菌がいることがわかりました。疫学的には帝王切開で生まれた子供はアレルギーになるリスクが2~3割ほど高いことが報告されていますので、帝王切開で生まれた子供にも母親の腸内細菌を定着させることが必要かもしれません。

ある論文では帝王切開で生まれた乳児に母親の腟の拭い液をふくませると、自然分娩と同様に母親の腸内細菌の定着がみられました。またヨーロッパの研究では、帝王切開した乳児に母乳と母親の便を混ぜて飲ませたら、自然分娩と同様の腸内環境を獲得できました」

ここまで紹介した研究や分析を通じて明確にわかるのは、「母親の影響が極めて大きい」ということだ。

母親の腸内細菌によって子供の運命が変わる(写真/イメージマート)
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「母親の腸内細菌は子供の健康面だけでなく、気質や感情面にも多大な影響を及ぼします。腸と脳の相関からもわかるように、腸内細菌は脳機能も大きく左右する。しかし母親の腸内環境が整わず、悪い腸内細菌を持っていると、それが子に移植され、生育や知育に好ましくない影響を与えてしまう。つまり、子供の運命は母親の腸内細菌にかかっているともいえるのです。

妊娠すると胎児に圧迫されて腸の機能が落ちて便秘になり、腸内環境が乱れやすいですね。妊娠時にはなるべく便秘にならず、良好な腸内環境をつくることが大切です」(辨野さん)

福田さんも言い添える。

「お腹のなかにいる胎児には、母親の腸内細菌がつくり出した代謝物質も影響するため、腸内環境がよくないと生まれてくる子供にも影響してしまう。例えば、腸内細菌がつくる代表的な成分に『短鎖脂肪酸』というものがあります。この成分を母親の腸内細菌が充分につくれないと、胎児の遺伝子にも影響を与え、生まれてくる子供がぜんそくや肥満になるリスクが増すと報告されています」

産後に父親と触れあうことで、父親の持つ細菌も多少はうつるが「出産時に父親の腸内細菌が乳児にうつることはまったくない」(辨野さん)という。両親の影響を受けるメンデル遺伝学とは違い、腸遺伝において母親の存在感は圧倒的なのだ。

医療経済ジャーナリストの室井一辰さんが加えて語る。

「最近は遺伝子以外にも、母親の胎盤などを通じて、遺伝子をコントロールする物質が胎児に移行することがわかってきました。赤ちゃんに遺伝的な病気があるかどうかも、母親の血液を調べればわかるようになった。これまで想定された以上に、赤ちゃんとお母さんとの間には物質的なやりとりがあり、腸内細菌はその1つとして注目されています」

乳児が風邪をひいたからと安易に抗生物質を使うと、せっかく母親から受け継いだ腸内細菌が死に絶えて、病気のリスクがかえって高まってしまう。

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