健康・医療

《母親から子へと伝播する「腸内細菌」》健康のほか、脳の発達や行動にも影響 箱根駅伝優勝の青学の選手に“特徴的な細菌”が多いという調査結果も

腸内細菌が持つ情報が子供に伝播することがわかってきている(写真/イメージマート)
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知能や運動神経、顔つきや骨格、身長や性格など、親から子が受け継ぐ「遺伝」にはまだ解明されていない謎が多い。そんな中、父親と母親それぞれの遺伝子からだけでなく、「腸内細菌」が持つ情報も子供に伝播することがわかってきた。体内の免疫細胞の約7割を持ち、“第二の脳”ともいわれるほど多くの神経細胞が存在する腸から、どんな情報が、どのようにして母から子に渡っていくのか。“腸遺伝”ともいうべき、新しい情報伝播経路を明らかにする。【前後編の前編】

「メンデル遺伝」では説明できない遺伝のメカニズムが徐々に解明

子供が親に似るのは細胞内の染色体を介して、“生命の設計図”である遺伝子を受け継ぐからだ──。 

19世紀に遺伝学の始祖であるメンデルが生み出した法則は、遺伝にまつわる数々の謎を解明してきた。

しかし近年、こうした「メンデル遺伝」では説明できない遺伝のメカニズムが徐々に解明されている。

そのひとつが、昨年2月に東京慈恵会医科大学が公表した「うつ病になりやすい体質」が遺伝する仕組みだ。同大学ウイルス学講座の研究によると、うつ病患者の67.9%が「“うつ病を引き起こしやすいタイプ”とされる『SITH-1遺伝子』を持つ、ヒトヘルペスウイルス6」に感染していた。これらの患者はSITH-1遺伝子を持たないヒトヘルペスウイルス6に感染している患者の約5倍、うつ病になりやすいとされる。

うつの遺伝率は35~40%と報告されている(写真/PIXTA)
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ヒトヘルペスウイルスはヒトを宿主とするヘルペスウイルスであり、帯状疱疹や、がんを引き起こすものなど8種類ある。それぞれの感染経路はさまざまだが、ヒトヘルペスウイルス6は新生児に主に母親から感染し、その後、一生涯ウイルス感染が持続することが知られている。

また、昨年9月に国際学術誌『Developmental Psychobiology』に掲載された京都大学大学院教育学研究科などの研究では、3~4才の日本人幼児284人を対象に、気質と腸内細菌叢の関連を調査した結果、恐れや悲しみ、怒りといった不快情動の表出や制御に、その幼児の腸内細菌の多様性や構成の違いが関連していることが報告された。

こうした研究が明らかにした重要な点は、母親から伝播された「常在微生物(ここではヒトヘルペスウイルス)」や「腸内細菌」が子供の心身に大きな影響を与えることだ。医療経済ジャーナリストの室井一辰さんは、「母親から子供に腸内細菌が伝播すると、近年は世界的に注目されています」と指摘。実際に海外では研究が進んでいる。

「例えば、オーストラリアの研究グループが2021年に公表した研究では、母親213人と子供215人を対象に妊娠中の母親の便中の腸内細菌や食事内容、生まれてきた子供の行動について調査を行いました。その結果、母親の腸内細菌の多様性が高いほど、2才時点での性格が陰気ではなく陽気になりやすいという結果が出た。背景には、マウスによる研究で母胎の妊娠中の腸内細菌が子供の脳の発達や行動に影響を与えることが示されたことなどがあります。この研究によって、人間でも妊娠中の母体の腸内細菌が子供に伝播し、子供の脳の発達と行動に影響を与えるという仮説を後押しする形になりました」(室井さん)

生まれるときに産道で母親の腸内細菌が子供にうつる

辨野腸内フローラ研究所理事長で、「腸内フローラ」という言葉の生みの親でもある、腸内細菌学者の辨野義己さんが言う。

「赤ちゃんは、生まれてくるときに産道でお母さんの腸内細菌をもらい受けます。母親の腸内で善玉菌が優勢であれば、生まれた子供の腸内環境も善玉菌優勢になる可能性が高いといえるなど、母親の腸内環境は子供に影響を与えるのです」

細菌を持たない胎児は、出産時に産道を通ることで母親の腸内細菌を得る(写真/PIXTA)
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親から子への遺伝は染色体を介して行われるとの考え方が主流を占めるなか、腸内細菌がうつるという“腸遺伝”にスポットが当たるようになったのはここ20年のことだ。室井さんが続ける。

「それまで腸内細菌は消化や便通にしか関係がなく、親の腸内細菌が伝播することで子供の心身の健康状態が変化するなんてまったく考えられていませんでした。

しかし2000年代からその腸内細菌についての常識が目まぐるしく変わり、親の遺伝子だけでなく腸内細菌も子供に影響することがわかってきた。いまや親から子にダイレクトに伝わる腸内細菌の伝播を無視することはできません」

腸遺伝は子供の体の健康だけでなく、脳の発達や行動にまで影響を及ぼすというが、腸内細菌とは、そもそもどういったものか。

日本人の平均的な大腸の長さは約1.5m、小腸の長さは約6~7mある。これらの腸の内壁をすべて広げると、その表面積はテニスコート2.5面分(約300平方メートル)に達する。

慶應義塾大学先端生命科学研究所特任教授の福田真嗣さんが話す。

広大な腸内には、おびただしい数の腸内細菌が集まっている(写真/AFLO)
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「最新の研究で、人間の腸内にはおよそ1000種類、約40兆個もの腸内細菌が生息していると見積もられています。人間の腸内に共通して棲んでいるのは160種類ほどとされ、腸内細菌の種類は個体差が大きいことも近年の研究で判明しました」

広大な腸内におびただしい数の腸内細菌が集まり、「腸内フローラ(お花畑)」と称される一大生態系を形成している。

「腸内細菌がいなければ人間の免疫系はほとんど発達せず、感染症にかかったらあっけなく死んでしまいます。それゆえ人間が生きていられるのは、腸内フローラのおかげといっても過言ではありません。遺伝子情報の全体をゲノムといいますが、腸内細菌は免疫系のほかにも人間の健康にさまざまな影響を与えることから“第二のゲノム”とも呼ばれています」(福田さん)

早稲田大学理工学術院准教授の細川正人さんも、「腸内細菌は個人差が大きい」と話す。 

「人体の皮膚や口腔、腟などのさまざまな部位に常時生息する微生物の総称を『ヒト常在菌』といい、病原の侵入を防いだり、栄養素の吸収を助けたりするといった役割があります。

腸内細菌は最もポピュラーなヒト常在菌ですが、それぞれの酵素の種類や機能の差が大きく、花畑のたとえでいえば、パンジーが多いか、チューリップが多いかは人によって違います。すると同じ食事をとっても栄養の吸収率や代謝のケースが異なり、人体に与える影響にさまざまなパターンが生じるのです」

青山学院大学駅伝ランナーには特徴的な腸内細菌が宿っていた

これまで腸内細菌の主な役割は消化吸収や感染防御とされてきたが、腸内フローラの研究が花開くとともに、さまざまな病気との関連が指摘されるようになった。

「同じ腸でも小腸は病気が起こりにくい半面、大腸には腸内細菌が棲みつき、大腸がん、大腸ポリープ、潰瘍性大腸炎など病気の種類がもっとも多い臓器で、さまざまな病気の発生源なのです。ですから、大腸の腸内細菌が乱れると免疫系の異常や老化などが進んで、さまざまな部位に疾患が発生するリスクとなります。

また、21世紀になり、腸内細菌が糖尿病や高血圧、肥満などの生活習慣病をもたらすことも指摘されるようになりました」(辨野さん)

腸内細菌が乱れ、悪化することで高血圧を引き起こす(写真/PIXTA)
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福田さんは、自らが行った研究で、腸内細菌の驚くべき機能を明らかにしたという。

「今年の箱根駅伝でも優勝し、大きな話題になった青山学院大学ですが、彼らの強さは腸内細菌にあるのではないかという仮説を立てました。そこで、チームを訪ね原晋監督にお願いして選手の便を提供していただいて調べたんです。すると、青学の選手の腸内には『バクテロイデス・ユニフォルミス』という特徴的な腸内細菌が多くいることがわかりました。しかも、3000m走のレースタイムが速い人ほどその菌が多い。

その菌をマウスに10週間飲ませたところ、持久力が約2倍になり、さらにその菌を増やすオリゴ糖を一般の人に2か月間摂取してもらったところ、エアロバイクで10kmの走行タイムが10%短縮されました。つまり腸内細菌は持久力にまで影響を有しているということです。ほかにもマウスの研究から、腸内細菌が食べ物の好みにも影響を与えることもわかっています」(福田さん・以下同)

いくつもの影響のなかでも注目されるのが脳と腸が相関するという「脳腸相関」だ。

「脳と腸は4つのルートでつながっています。まずは迷走神経という神経です。これは例えば、脳がストレスを感じると腸が不調になって下痢を起こしたりします。2つめはホルモンを通じたやりとりで、ご飯を食べて満腹になると腸からホルモンが分泌されて食べることをやめます。3つめが免疫細胞で、腸内細菌の状態がよくないと炎症などを引き起こす免疫細胞が腸で増加し、それが脳の髄膜まで移動すると、うつ病になる可能性があります。4つめは腸内細菌が作り出すさまざまな成分で、それらが腸から吸収されると血流にのって全身をめぐり、その一部が最終的に脳にも作用します」

腸内細菌は体のさまざまな機能に影響を与える
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通常、私たちは司令塔である脳が腸をコントロールしていると考えるが、現実には、“腸が脳を支配する”場面もあるという。

「イソギンチャクやナマコといった脳のない動物はいても、腸のない動物は存在しません。そして脳のない動物は、腸が脳の役割を果たしています。

人間においても腸は腸、脳は脳と独立して機能するのではなく、実は腸が脳をコントロールしているとの研究が多く、近年は自閉症や認知症、パーキンソン病やアルツハイマー病といった脳の機能と関連する病気を、腸内細菌が引き起こす可能性が指摘されています」(辨野さん)

さらに最近は、薬の効果にも腸内環境が影響することがわかってきた。

「例えば、がんの免疫療法に用いられる薬が効くかどうか、副作用が起こるかどうかに、特定の腸内細菌の存在がかかわることが、最新の研究で明らかになりました」(細川さん)

これほどまで私たちの健康に影響を与える恐るべき腸内細菌。だがそれは逆に考えれば、腸内環境を整えれば病気を予防できるという希望につながる。

「腸内細菌をいかにコントロールできるかが、生活習慣病やがん、脳の病気などを未然に防いで健康寿命を延ばすことに関与します。また、認知症などの脳疾患を予防するうえでも、腸内環境を整えることは重要なポイントになるでしょう」(辨野さん)

(後編に続く)

※女性セブン2025年2月6日号

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