
大物ラッパーでありデザイナーとしても成功している「Ye(イェ)」ことカニエ・ウェスト(47)。日本時間2月3日、グラミー賞のレッドカーペットに予告なく登場すると、毎度のことながら彼が伴った妻ビアンカ・センソリ(30)の過激な服装が世界中で話題の的となった。しかし、今回、そうした露出が多い衣装が「彼女が望んだものではない」という主張が広がり、お騒がせ夫婦の実情が浮き彫りになり始めた。
何度も断ろうとした
この日のビアンカは、下着を着用しないまま、体が透けて見えるシースルーのドレスを身にまとってレッドカーペットに現れた。その姿を見た人たちからは「ほとんど裸と変わらない」「公然わいせつではないの?」と呆れる声が上がったが、カニエは意に介さない。自身のSNSで「グラミー賞を打ち負かした」、「私の妻は地球でもっともグーグル検索されている」と自慢しのだった。
2022年12月に結婚したとされる二人。それからビアンカは、“裸同然”の衣装で公衆の面前に姿を現すことが増え、そのたびに世界中の芸能ゴシップのターゲットとなった。当初は、ビアンカも好んで着ていると思われていたようだが、実情は異なるのかもしれない。前述のグラミー賞の後、ニューヨーク・ポストがカニエに近い関係者の談話とあわせて「ビアンカの限度を超えた極端なファッションは夫の命令だった」と報じたのだ。
「“ヌードファッション”はカニエのアイデアで、彼はそれに固執していたというのです。ビアンカは過度な露出にナーバスになり、何度も断ろうとしたが、カニエに許してもらえず、彼女は夫の“趣味”に従うほかなかった。あのような衣装は彼の思いつき、やひらめきだったといい、一旦、頭の中にひらめくと、もう誰も彼を説得できないと……つまり、ビアンカはイヤイヤあんな服装をしていたことになるのです」(在米ジャーナリスト)
この報道後、世間からカニエへの批判的な声はヒートアップしたが、彼はそれに答える形で「私は妻を支配している。億万長者と一緒にいる彼女は、なぜ金のない君たちの言うことを聞くというのか」とSNS上で反論してみせた。

彼女は部下であり、ただの一般人
カニエの前妻は、“スーパーセレブ”と言われたモデルや実業家としての顔を持つキム・カーダシアン(44)。擦った揉んだの挙げ句に離婚し、再婚したのが17才年下のビアンカだった。
「オーストラリア出身で建築家兼デザイナーのビアンカがカニエのファッションブランドに入社したのが2020年のこと。そこからカニエと“いい仲”になり再婚するわけですが、言ってみれば彼女はカニエの部下であり、ただの一般人。スーパーセレブの前妻と違い、カニエにとっては“支配しやすい相手”だったのでしょう。あらゆる面で夫婦間格差があり、対等な夫婦関係とは言い難いものがありました」(前出・在米ジャーナリスト)
当初、シンデレラストーリーかと思われたが、ビアンカが「裸に見える服装」を強制されているのなら、事情が違ってくる。
この夫婦間格差、決して海外セレブだけの話ではないようだ。ビアンカの状況を知った都内在住のパート勤めの妻(47)はこうため息を漏らす。
「全然レベルが違うけど、私も歴代の彼氏の趣味に合わせて服装を変えてきたタイプです。短大生の頃はモーニング娘。が好きだった当時の彼に合わせてタイトなタートルネックにミニスカート、社会人になると“エビちゃん”のような赤文字系のファッションがしたいのに、その時の彼に合わせてシモキタ系の古着を着ていました(笑い)。
今の夫はとにかく派手だったりお金がかかってそうな服装を嫌がるので、もっぱらユニクロやGUでコーディネートしています。本当は伊勢丹や高島屋のレディースフロアにあるデザイナーズの服、あるいはユナイテッド・アローズなんかのセレクトショップの服を着たいのですが……やはり夫の稼ぎに頼っているので、服を買うにも夫の顔色をうかがっちゃいますね……」

15年前から男女格差は変わらず
総務省が5年に1度、国民の生活スタイルを調べる「社会生活基本調査」によれば、家事関連時間の男女格差は、長年変化がないという。
「2022年に発表されたものが最新ですが、15年前とほとんど変化がないというのです。育児についても、父親のかかわる時間は増加傾向にありますが、比例して妻の時間も増えているので、やはり、その差はほとんど変わりませんでした。いまだに男性のほうが長時間労働が多いなどの、社会全体の就労の問題があると見られています。」(人材コンサルタント)
「イクメン」や「カジダン」という言葉が定着しつつあるが、いまだ家計は夫が支えるケースが多いという現状がうかがえる。もっとも、仕事での稼ぎによる「夫婦間格差」が、そのまま夫婦の関係につながるわけではない。それを口実に、妻を支配するような夫がいることが問題なのである。
夫の趣味に付き合い続けることが妻の務めではないし、嫌がる妻にいつまでも強要すべきではない。










