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2025年となり、ライター歴46年を迎えたオバ記者こと野原広子(67歳)。厳しい寒さの中で続けていることがある。それは編み物。不安な気持ちをおさえるのに最適だという。オバ記者が自身の編み物歴について綴る。
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ギャンブル依存症の時にもやっていた編み物
いやいや、もうもう、寒いなんてもんじゃないね。こうなったら外出は必要最低限にして、家の中でジーッと動かない。お腹が空いたら冷蔵庫の中を漁って、前に買っておいたインスタントラーメンを食べたりして冬眠しているわよ。
こんな時の私の楽しみは編み物なの。キャラに合わない? まぁ、そうなんだけど、ギャンブル依存症で精神的にも金銭的にもニッチもサッチもいかなくなった時も編み物はしていたんだよね。
私が最初に編み針を持ったのは小学5年か6年か。手仕事好きな母親の横で見よう見まねでね。中学校には自作のマフラーを首に巻いて、手編みのミトンをつけて自転車で登校していたっけ。クラスの中の何人かは編み物をする子がいたんだよね。
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高2の冬には何を思ったのか母親が編み機を買ってくれて近所の編み物教室に通ったの。高校生は私と友だち2人の計3人で、あとは20代のお勤めをしているお姉さんたち。セーターやワンピース、スカートもシルバー編み機で編んだっけ。女同士が手を動かしながらおしゃべりするのが高校生の私には楽しかったんだよね。
好きな人ができるとベストを編んでプレゼントしたくなる
編み物といえば、ベストよ。20代で独身だった私は好きな男ができるとベストを編んでプレゼントしたくなったんだよね。相手の肩幅と胸囲を測ってえりの形や毛糸の色をどうするか話している時が絶好調。それから叔母のところに行って編み地の相談やら糸の取り寄せてもらった。
一度目は「どんな男か今度、連れてらっしゃい」と、叔母も心配顔だったんだけど、一か月たっても二か月たってもベストはできない。「あのベスト、どうなったの? で、その人とはどうなったのよ?」という叔母の質問からはのらりくらりと逃げているうちに、次の冬がきて、「ベストを編もうと思っているんだけど」って言っている私。
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「ヒロコちゃんはベスト編みたくなる病だね」と叔母に呆れられたっけ。セーターに取り掛からず、ベストってところがミソでね。自分でもどうせダメになるとわかっていたんだと思う。不確実な気持ちの持って行き場がないから編む、ってことは一種のセルフセラピーだったのかもね。
それは今もそう。これ(写真)は約2年前の10月に境界悪性腫瘍で卵巣と子宮を全摘手術をして退院してきた時にひたすら編んだひざ掛けでね。これからどうなるか不安でたまらなかった気持ちを手を動かして治めていたんだわ。
「誘いにはできる限り参加する」
と、まぁ、放っておくと内向きになりがちな私だけと、ひとつ決めていることがあるの。それは人からの誘いは出来る限り参加すること。恩ある人からの誘いは必ず参加すること。三遊亭はらしょうさんは恩ある人だから、出版記念ライブのお話をいただいたときは二つ返事よ。
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落語家のはらしょうさんと私が知り合ったのは、2021年夏にたかまつななさんが主催した湘南の海のゴミ拾いイベントでね。帰り道に話したらなんと私が20代に追っかけをしていた三遊亭円丈さんのお弟子さん! 「えええ〜っ!」ってことになり、それからはらしょうさんが主催しているドキュメント落語会で話をする機会を作ってくださり、この経験はその後、講演会を引き受ける大きな力になったの。ほんと、私が足向けて寝られない人のひとりなんだよね。
“恩人”が出した小説の内容がすごい
そのはらしょうさんが小説家デビューをしたのは、彼のドキュメント落語を知っている人は驚かないけれど、本の内容がすごいんだわ。
その本は『俺とシショーと落語家パワハラ裁判』。ある古参の落語家に12年仕えた弟子がパワハラで訴えて勝訴したということが去年、話題になったけれど、はらしょうさんもまた、円丈師匠にめちゃくちゃな扱いを受けた過去がある。なんて話を「暴露本じゃないです。小説ですからね!」と言いつつ、ドキュメント落語の手法で見事に書き上げているの。
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弟子が師匠を訴えたのも前代未聞なら、裁判の判決の日、傍聴人のひとりが笑いをこらえられずに口を押さえて部屋を飛び出したとか、最後は裁判官まで吹き出したとか、あり得ないって!
そう、このあり得ない!って目を見開くような刺激は、家で冬眠していたらないもんね。刺激とまったり。この間を行ったり来たりするのが生きている実感なのかもね。そんなことをトークイベントに集まった人と笑いながら思ったのでした。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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