
最初に「医者の不養生」と言ったのは、江戸中期の発明家・平賀源内だったとされる。この時代、医学や科学はもちろん、出版、食、演芸などあらゆる文化が急速に発展し、その多くが現代まで続いている。250年の時を超える文化の礎を築いた「長寿の名医・名将」に、本当に大切な養生を学ぼう。
ベストセラーとなった健康本『養生訓』
貸本屋から出版業を手がけ「江戸のメディア王」と呼ばれた蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)。彼が生きた1770年代の江戸の町では、庶民も当たり前に本を読むようになり、本草学者で儒学者の貝原益軒(かいばら・えきけん)による『養生訓』をはじめとする健康本や料理本などが次々とベストセラーとなった。
歯みがきは毎食後、お風呂は2日おき
『養生訓』に記されているのは、食事についてだけではない。「寝すぎ」も戒められている。
「睡眠時間が長すぎると元気がなくなると考えられており、益軒は”どうしても眠いときは少し寝て、そばにいる人に起こしてもらうのがいい”としています。一方で”眠りが足りないと精神が静まらないので、読書やおしゃべりは23時まで”とも。元武蔵野学院大学教授の謝心範(しゃ・しんはん)さんが語る。
寝るときの姿勢については、仰向けに寝るとうなされやすくなると考えられていました。益軒は、右向きでひざを曲げて両脚を縮めて眠る『獅子眠』を推奨しています」
睡眠の質を上げるには、体を冷やさないことだという。
「”足湯を使い、布団で首から下を風に当てないようにするといい”明かりを消して寝なさい””口を開けて寝てはいけない”などとも書かれています。実際に、口を開けたまま寝ると口内が乾燥し、口腔内の雑菌が繁殖しやすくなる。また”朝一番の唾液を飲み込まないこと”も重要。朝の唾液には雑菌や、菌がつくった発がん物質が多く、飲み込むと腸管免疫が低下し、食道がんのリスクを高めてしまう。朝起きたら、まずは口をすすぎましょう」(南越谷健身会クリニック院長の周東寛さん)
食後の歯みがきも江戸時代にはすでに一般的だった。
「木の枝の端をブラシ状に割いた『房楊枝』という歯ブラシはもう一端が爪楊枝のように細くなっており、1本で歯みがきが完結しました。また、食後の茶碗にお茶を入れて口に含んでうがいをする習慣はこの頃からあったようです」(元明治学院大学教授で歴史学者の武光誠さん)
まめな口腔ケアの一方、毎日入浴する習慣はなく、髪を洗うのは真夏以外は5日に1回ほどだった。
「当時の人々より活動範囲の広い現代人は入浴で皮膚を清潔にする必要がある一方で、皮膚を洗いすぎるとバリア機能が失われるので、現実的には2~3日に一度くらいで充分なのです」(周東さん)
江戸の人々は50℃前後の「あつ湯」の風呂を好んだとされるが、益軒はこれも「体力を消耗する」と戒めた。現代人も熱すぎないお湯を意識したい。
「熱すぎるお湯はヒートショックを招きかねません。益軒は”たらいに温かいお湯を入れて肩背から流すと気がよく巡り、消化がよくなる”としています」(謝さん・以下同)
「幸せ察知力」で生涯現役
益軒は、体やふくらはぎをさするマッサージや、家族との時間を大切にすること、香や詠歌・舞踏を楽しむことも養生の1つとして挙げている。
『養生訓』では、全476条のうち半分近くが「心の養生」に関すること。それだけ、健康長寿にはメンタルケアが重要なのだ。
「”体は心のしもべ”としています。食欲、睡眠欲、性欲のほか、怒りや悲しみといったネガティブな感情に振り回されないことで、心身が健康になるということ。そのためには、何事も欲張ってはいけません」

江戸のご長寿たちは、「足るを知る」ことこそ長生きの秘訣だと知っていたのかもしれない。誘惑の多い現代人には難しいが、人生に充足感を与えてくれる趣味が役に立つ。
「生涯現役で知られている杉田玄白は晩年まで多趣味で、大勢の仲間と集まって和歌や漢詩、俳句を詠むのが好きだったそう。趣味のために自分の足で出掛けて人と会い、楽しくストレスを発散することも、健康長寿の秘訣でしょう」(武光さん・以下同)
晩年の玄白は「九幸」という雅号を好んだ。長生きして、9つの大きな幸せを得たという意味とされる。
「泰平に生まれ、都で暮らし、人とかかわり、長生きし、給与をもらい、貧しくはなく、人々に知られ、子孫が多く、いまでもこんなに元気な自分は幸せだ、というのです。これは、”自分が恵まれていることに気づかないと不幸になる”という教えでもあります」
『養生訓』は、自分の心身の健康を保つ責任は自分にあると説いた。100の教えを取り入れ、病気から身を守り、長生きを目指そう。
※女性セブン2025年3月13日号