健康・医療

《酸素チューブをつけてでも》料理研究家・枝元なほみさん逝去「誰かのために」作り続けた69年

自身の活動について語る枝元さん(2023年3月、写真/時事通信)
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料理研究家の枝元なほみさんが、2月27日に間質性肺炎のために亡くなっていたことが、3月12日、枝元さんの公式Xを通じて発表された。69才だった。

「エダモン」というあだ名で親しまれ、料理研究家としてだけでなく、ホームレスを支援するNPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務めたり、流通に乗せにくい野菜をインターネットで販売する農業支援活動を行うなど、さまざまな社会活動にも尽力していた。

枝元さんが料理研究家の道に足を踏み出したのは、1980年代後半のこと。当時枝元さんは32才で、大学で始めた演劇にのめり込み、卒業後も劇団に所属して演劇を続けていたものの、その劇団が解散してしまい途方に暮れていたころだった。

「枝元さんの窮状を知った友人が、アルバイトを紹介してくれたそうです。無国籍料理のレストランで働き、『好きなように料理していいよ』という店主の下で、お客さんに認めてもらえる味やボリューム、見た目を追求していくうちに、枝元さんの料理の腕は磨かれていきました」(テレビ局関係者)

自由な発想で考案したレシピや、食材本来の味を生かした料理は評判を集め、雑誌の料理企画のほか、NHKの『きょうの料理』など人気番組にも出演するようになり、ファンを増やしていった。

笑顔がチャーミングだった(写真/枝元さんのXより)
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また、先述のとおり枝元さんは生前、社会活動にも全力を捧げていた。

たとえばいまから14年前、東日本大震災が起きたとき、枝元さんは友人とクッキーを手作りし、被災地に送る活動を始めた。その後、被災者が避難所でできる仕事が少ないことを案じるようになると、被災地に通い、一緒にクッキーを作り、それを東京など被災地以外の場所で売って収益を被災地に還元する活動にシフトした。

枝元さんは、ただ単にお金やものを渡すだけではない活動をすることの意味について、「クッキーを作ることで被災した人たちの気持ちが和んだり笑顔になってくれるんです。その場所に一緒にいられることのすごさを感じています」(『女性セブン』2012年3月22日号)と語っていた。

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