健康・医療

《酸素チューブをつけてでも》料理研究家・枝元なほみさん逝去「誰かのために」作り続けた69年

(2024年3月、写真/朝日新聞フォトアーカイブ)
写真5枚

枝元さんが自身の体の変調に気づいたのは、2019年ごろだったという。

「息苦しく感じ、病院にかかったところ、肺が硬くなって酸素を取り込みにくくなる間質性肺炎だと診断されたそうです。呼吸を補助するために酸素チューブの使用が欠かせなくなり、外見の変化だけでなく、愛用していたガスコンロを使うことも難しくなりました。しばらくは病気を受け入れることができず、出来なくなったことばかりに目が行く日々で、料理番組に出演することもなくなっていました」(芸能関係者)

そんな枝元さんを変えたのは、とある情報番組への出演だった。病気をする前によく出演していた『あさイチ』(NHK)から出演のオファーが来たのだ。

「当初は出演を悩んだという枝元さんですが、『酸素チューブをつけて出た方がいい、そうやって仕事をしているところを見せることで励まされる人がいるかもしれない』という知り合いの医師の言葉に背中を押され、番組出演を決めたそうです」(前出・芸能関係者)

酸素チューブをつけてIHコンロで料理を披露した彼女のもとには、後日、「私の母も同じような病気で励みになったようです」といった枝元さんの生き方に共感するメッセージがたくさん届いたという。

オリジナリティ溢れる料理でファンを増やした(写真/枝元さんのXより)
写真5枚

「このとき枝元さんの心には、病気の自分でも誰かを助けることができる、という新たな“使命”にも似た気持ちが芽生えたそうです。それ以降、雑誌などの企画に酸素チューブぼをつけた姿で臨むことも増え、具合が悪くても作れる料理や手間を減らすコツなどを積極的に明かすように。病気と共に生きるありのままの姿を見せてくれました」(前出・芸能関係者)

生涯「食」を通じて人々を励まし続けた枝元さんだった。

「クランベリーアンバサダー」に就任したこともあった(2008年3月)
写真5枚
関連キーワード