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《誰もお兄さんを責められない》志村けんさん自宅解体で兄が「大量の遺品を処分」に共感の声「仕方なかったんです」

2020年3月に亡くなった国民的スターの志村けんさん
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2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けんさん。遺品整理に一区切りをつけた兄・知之さん夫婦の複雑な胸中を報じた『女性セブン』(2025年3月20日号)の記事には、共感の声が相次いだ。

今年3月、東京都三鷹市にあった志村さんの自宅の解体工事が始まった。志村さんは3人兄弟の三男で、自宅は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続したが、空き家状態が長く続いた。理由のひとつが、室内に残された膨大な遺品だった。

「志村さんの死は突然でした。2020年3月15日に倦怠感があり、自宅療養中だった20日に容体が悪化。救急搬送先の病院で29日に息を引き取りました。異変を感じてから、わずか2週間。終活なんて考えてもいなかった中で、自宅に残されたすべての物が、志村さんが生きていた当時のまま手つかずで遺品となってしまったんです。志村さんは大量の映画を鑑賞することがライフワークでした。書斎やリビングは、古いビデオテープやDVDであふれかえっていた。それにくわえ、志村さんの功績を称えた数々のトロフィーや愛用の調理器具、洋服もたくさん残されていました」(芸能関係者)

志村けんの訃報を受け、自宅に報道陣が詰めかけた(2020年)
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「現実的にそれは無理だったんです」

知之さんはメディアの取材に「とにかく物がありすぎて、どこから手をつければよいのかわからない」と嘆いたこともあったほど。今年1月、知之さんらは大手不動産会社に売却して業者による自宅の解体工事が始まったが、膨大な遺品について知之さん夫婦に話を聞くとふたりは悲しい表情を見せた。知之さんが言う。

「ちゃんと整理できなかったんですよ。体の自由が年々きかなくなって、物を運ぶことができなかった。実は……あの家に残っていた荷物は、業者に依頼してすべて処分してもらったんです。できることなら残しておきたかったけれど、現実的にそれは無理だったんです。ファンからしてみれば全部がお宝なのはわかっていたんですけど。仕方なかったんです。寂しい限りです……」

手つかずだった遺品整理について明かした知之さん。大量の遺品を運び出し、管理していくのは、高齢の知之さんにとって簡単なことではない。高齢化が進む日本では、同じ悩みを抱える遺族が増えているといい、実際に報道の後も、知之さんの決断に「どうか心を傷めないでほしい」「誰もお兄さんを責められない」という反応があった。首都圏で「遺品整理サービス業」を営む男性も、こう話す。

「遺品整理の相談は年々増えています。遺族の方が遺品をある程度整理された上で処分を依頼されることがほとんどですが、実は志村さんのケースのように、室内に残された遺品を全て処分してほしいという相談も増えているんです。

子を持たずに亡くなった方や、高齢の配偶者やきょうだいが相続人になると、遺品の大半を保管したり維持することができないからです。遺族としては、故人が愛したさまざまな物を引き取りたいという思いはあるでしょうが、現実問題として難しい。せいぜい貴金属や数点の衣類で精一杯。

遺品を処分したことで故人に申し訳ない、と心を痛める方もいますが、どうか周囲の方はそのことで責めることはなきようお願いしたいですね」

業者によっては、遺品を「お焚き上げ」して供養してから焼却するところもある。遺族の思いがこもっていれば、ただの処分とは異なる「整理」になるはず。

志村さん3兄弟、左から次兄・美佐男さん、長兄・知之さん、志村さん(インスタグラムより)
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コメディアンとして、舞台の座長として志村は多くの人から慕われ、愛されてきた
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2021年6月に東村山駅前に設置された志村さんの銅像(写真/共同通信)
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移植か伐採が検討されている「志村けんの木」(写真/アフロ)
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