
雅子さまは、戦争を体験された世代ではない。それでも戦争の惨禍に心を痛め、失われた多くの命と残された人々の悲しみに寄り添われてきた。上皇ご夫妻以来、およそ30年ぶりとなった両陛下の硫黄島訪問には、国母としての強いお気持ちがにじんでいた。
太平洋戦争末期に1か月を超える持久戦が繰り広げられた小笠原諸島の硫黄島。激しい戦闘はもとより、河川がないことによる深刻な水不足が、旧日本軍の兵士たちを苦しめた。「渇水の島」とも呼ばれる硫黄島を訪問された雅子さまは、戦没者の碑の前で水を注ぐ「献水」をしながら、どのような祈りを捧げられたのだろう──。
花曇りが広がり、時折雨が落ちた4月7日午前、ダークスーツ姿の両陛下は政府専用機で、羽田空港から約1200km離れた硫黄島へと出発された。戦後80年を迎える今年、両陛下の慰霊の旅のスタートとなった硫黄島は、1945年2月に米兵が上陸してから5週間の間に、日本兵約2万1900人が犠牲になり、軍属として徴用された島民82人も命を落とした。米兵も約6800人が死亡。死者のうち約1万人は、遺骨が回収されないまま眠っている。両陛下にとって、慰霊の持つ意味は大きい。
「戦争の終結から80年が経ち、祖父母世代でも戦争を経験していない、若い世代が増えています。両陛下はそうした世代に対しても、本土から離れた島で激しい戦闘が行われたことも含め、この国の過去をしっかりと見つめてもらいたい、戦争の記憶と記録をつなぎ合わせたいというお気持ちをお持ちです。今回の訪問にあたっては、事前に資料などを読み込まれて臨まれたということです」(皇室記者)
名古屋大大学院准教授で、象徴天皇制の研究をする河西秀哉氏が話す。

「いまの天皇にとって、戦争は“祖父である昭和天皇が引き起こしたもの”とも言えます。孫である天皇が慰霊の姿勢を率先して若者に示すことが、若い人たちに平和の尊さを伝えることにつながります。加えて、皇后が“ペア”で訪問することで、皇室にとって慰霊が最重要視されていると示すことができるのでしょう」
その日、両陛下は「戦没者の碑」の前で黙祷を捧げられた後、島民の慰霊碑がある「平和祈念墓地公園」で拝礼。日米すべての戦没者の慰霊碑「鎮魂の丘」も訪問し祈りを捧げられた。黒い帽子を被られ、黒いスーツの雅子さまは、皇居から運んだという白いユリなどの花束を供えられた。
「戦後50年を翌年に控えた1994年、上皇ご夫妻が初めて硫黄島を訪問されました。ただそのときには、スケジュールの関係から平和祈念墓地公園に足を運ぶことができませんでした。そうした過去も、両陛下は上皇ご夫妻からお聞きになっているはずです」(皇室ジャーナリスト)
だからだろう。今回の慰霊訪問は、文字通り「分刻み」のスケジュールだった。
「事前段階では、戦没者の碑に16分、平和祈念墓地公園に11分、鎮魂の丘に20分の滞在が予定されていました。それだけタイトなスケジュールを組まなければ、すべてを回り切ることができなかったということなのでしょう。それでも両陛下の“戦争で失われたすべての魂に寄り添いたい”という思いから、3か所の訪問が実現したのだと思います」(前出・皇室記者)
※女性セブン2025年4月24日号