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《死に方は生き方》作家・下重暁子さん、「普段からどう生きるかと同じ程度に、どう死ぬかを考えておくことが大事」

作家・下重暁子さん
作家・下重暁子さん
写真2枚

死は誰にでも平等に訪れる。そしてそれがいつなのか選ぶことはできない。だが、最期の瞬間をどのように迎えるか望み、そのために準備することはできる。作家・下重暁子さん(88才)が「自らの最期」についての捉え方を語った。

「どう生きるか」と同じくらい「どう死ぬか」を日常的に考える

「死は人生最大のイベント。でも誰も助けてくれないし、自分で盛り上げないと仕方ない。だからいろいろと、できるだけ楽しい最期を考えておくんです」

そう語る下重暁子さんは、死について日頃から考えることの大切さとともに、「死に方」をイメージすることの重要性を強調する。

寝ている女性の手に手を当てている女性の手元
『死に方は生き方』であり、『生き方は死に方』でもある(写真/PIXTA)
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「願っていれば、“自分の思うような死”が実現する気がします。私の母は祖母のことを尊敬して『同じ日に死にたい』とずっと口にしていたら、本当に祖母の命日に脳梗塞になって亡くなりました。願っていれば必ず実現するとはもちろん言い切れませんが、願わないと実現しません。

『死に方は生き方』であり、『生き方は死に方』でもあるのだから、普段からどう生きるかと同じ程度に、どう死ぬかを考えておくことが大事です」(下重さん・以下同)

理想の死はきっと実現する―そう信じる下重さんは「どういうときに死にたいか」にも思いを馳せる。

「私は、自分が好きな夕暮れどきに死ぬって勝手に決めています。空が暗くなってきて、闇に変わるその瞬間にあの世に行きたい。

時間帯だけではなくて、季節も考えます。昔は晩秋に死にたいと思っていたけど、秋は日暮れが早くて少し寂しく感じるのでいまは晩春に死ぬのが希望です」

死は暗く寂しいものではなく、“心ときめく楽しいもの”だ。だから時刻や季節を決めるだけでなく、ほかの「演出」も欠かせない。

「もう遠くはないうちに自分の死が来ると思っていますが、同じ死ぬなら、自分なりに楽しく、この世を去りたい。私は晩春の山吹と晩秋の萩が好きだから、『どちらかの季節に死ぬので、山吹か萩を葬式で飾ってほしい』と近所の花屋さんに頼んであります。自分が望むお葬式について、生きている人に伝えておくのも大切なことですよ」

ほかの人の名字で死にたくない

最期に向けた準備を着々と進める下重さんが徹底してこだわるのが、「自分の名前で死ぬ」ことだ。

「絶対に戸籍上、『下重暁子』の名前に戻って死にたいと思います。『夫の姓でいいじゃない』という人もいますが、私は下重暁子として生きてきたので、ほかの人の名字で死にたくありません。

今国会で選択的夫婦別姓が法制化されると思っていたらトランプ関税で吹っ飛んでしまったけど、私は自分の名前を取り戻してから死にたい。同姓が不便というよりも、自分の名前が使えないのが不快です。別に離婚したいわけではないので、早く選択的夫婦別姓を実現してほしい」

「避けたい最期」は考えないのも下重流だ。

「体の調子が悪いときは『避けたい最期』を考えがちですが、それを考えてもつまらないから、楽しいことに変える努力をします。人間、生き方の延長線上に死があるわけで、最期にその人らしい死を迎えられれば上出来でしょう」

死んだ後には「無」しかないと、死ぬことを恐れる人も多い。でも下重さんは、死は「旅」のようなものではないかと軽やかに言う。

「死後の世界に行ったことはないし、死んだ後のことは誰にもわかりません。でも私は体がなくなっても心が残り、生きた思いが残り続けると思う。だから死も、知らないところに行く旅のようなもので、案外楽しいかもしれません。旅は大好きだし、知らないところに行けるのはいいことじゃないかと思うんです」

◆作家・下重暁子

しもじゅう・あきこ/1936年、栃木県生まれ。早稲田大学卒業後、1959年にアナウンサーとしてNHK入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数。

※女性セブン2025年5月8・15日号

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