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【追悼・篠田正浩さん】岩下志麻、“戦友”夫との結婚58年秘話 家事全般はお手伝いさんに任せても“食事の献立”だけは岩下が担当 会えない日には毎日電話した

岩下志麻の夫で映画監督の篠田正浩さんが肺炎のため94才でこの世を去った
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数々の“修羅場”をくぐり抜けてきた希代の名女優も、夫との永遠の別れを前にして、悲しみに暮れている。長年連れ添った夫婦の間には、銀幕で見せる表情とは正反対の、穏やかでゆったりとした時間が、晩年は流れていた。

「58年間人生を共にしてまいりましたので、いまはただ、悲しみと喪失の思いで胸がいっぱいです」

人生の大半を共に過ごした最愛の相手との別れに、岩下志麻(84才)はそう無念さをにじませた。3月25日、岩下の夫で映画監督の篠田正浩さんが、肺炎のため94才でこの世を去った。『心中天網島』『瀬戸内少年野球団』『少年時代』など、数多くの名作を残した篠田さんと岩下は、映画界でも屈指のおしどり夫婦として知られた。

篠田さんは今年1月に転倒して骨折し、都内の病院に入院。岩下は入院生活に付き添っていたが、3月24日に一旦帰宅したという。しかし、25日未明に容体が急変。あまりに突然のことで、無情にも、岩下は篠田さんの最期に立ち会うことができなかった。

「訃報から4日後の29日に、岩下さんは映画の舞台挨拶に登壇予定でした。当初は“しっかり取材対応しないと”と気丈に振る舞っていたそうですが、ショックは隠しきれず、舞台挨拶は取りやめになりました。それだけ、篠田さんの存在は岩下さんにとって大きいものでした」(芸能関係者)

岩下は1960年に映画『笛吹川』でデビュー。同年、篠田さんが監督を務めた映画『乾いた湖』に出演した。ふたりの関係が発展したのは映画『暗殺』(1964年)の撮影中。京都の撮影所で時間が空いたため、それまでお茶もしたことがなかったのに、どちらからともなく「お食事しましょうか」と誘ったという。

「京都・先斗町のお店で、ふたりで日本酒を2升も飲んだそうです。ただ、お互いに意識していたから緊張もものすごく、岩下さんも篠田さんもまったく酔わなかったといいます」(映画関係者)

1967年に結婚すると同時に、篠田さんは映画制作会社「表現社」を立ち上げ、以降は岩下と二人三脚で歩んできた。そのため、夫婦であると同時に、女優と監督という“戦友”のような関係でもあった。

「篠田さんは、“結婚することで、女優としてさらなる魅力をつけてほしい”と考えていました。女優としての飛躍も願って妻に迎えたわけだから、台所仕事などは一切しなくていいという考えだった。だから、家事全般はお手伝いさんに任せていました。

ただ、自ら台所に立たないまでも、食事の献立だけはいつも岩下さんが作っていました。篠田さんはお肉が大好きでしたが、偏らないようにあえて肉よりも魚、野菜類をメニューに加えていたそうです。特に晩年は、コレステロールの少ないものを取り入れ、とりわけ、もずくと豆腐は毎日食卓に並ぶようにしていたといいます」(前出・芸能関係者)

夫婦で同じ美容室に

1986年に公開された映画『極道の妻たち』は、1998年の10作目まで続く人気シリーズとなった。岩下にとって「極妻」は代名詞となる作品だ。都内の閑静な住宅街に、岩下と篠田さんが暮らした自宅がある。周辺と比べても一際大きなその邸宅の周辺では、極妻のイメージとは異なる、たおやかな岩下と篠田さんの姿が見られたという。

『極道の妻たち』の映画シリーズのうち、8作は岩下が主演した
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「以前、岩下さんたちはワンちゃんを飼っていて、よく一緒に近所を散歩していました。岩下さんは散歩のときも日焼けしないように、大きなツバのついたハットにサングラス、手袋をつけていましたけど、会えば“いいお天気ですね”と気さくに挨拶してくれました。篠田さんも同じで、あれほどの大女優と有名な映画監督から挨拶されると、こちらが恐縮しちゃうくらいでした」(近隣住民)

夫婦の親密さは、「近所の美容室を夫婦揃って行きつけにしていた」(別の近隣住民)ということからもうかがい知れる。夫婦には一人娘がいる。岩下が32才のときに授かった一粒種で、手塩にかけて育ててきた。

「出産当時の映画界には“育児と仕事を両立する女優”は少なく、現在のようなサポート体制はありません。岩下さんは仕事のせいで母乳が止まり、娘さんと過ごす時間も限られるなど、周囲から“お嬢さんがかわいそうだから仕事をやめたら?”と言われたこともあったそうです」(前出・芸能関係者)

私生活を犠牲に岩下のキャリアは築かれていった。

「夫婦揃って日本の映画界を引っ張る存在となりましたが、両親の苦労を間近で見てきた娘さんは、“自分は違う世界に進む”と大学卒業後は一般企業に就職しました。“極妻と名監督の娘”と見られるのが嫌だったのでしょう。岩下さんもそのことを理解していて、お孫さんが生まれても運動会などには顔を出さなかったそうです」(前出・芸能関係者)

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