
全国に桜の名所は数多くあるが、その中で最近になって注目を集めたスポットがある。「山桜の名所」として知名度が急上昇している茨城県桜川市だ。同市出身のライター・オバ記者こと野原広子(68歳)が、同市で経験した“最高の花見”について振り返る。
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地元が「山桜の名所」として大賑わい
この春、山桜の名所として多くのメディアで取り上げられたわが郷里、茨城県桜川市の磯部稲荷神社。地元の友だちに聞くと「すごい人出だったみたいだよ」と言うんだけど、その口ぶりがどこか他人事だ。「よそ者が大勢やって来て、なんか騒いでいるわ」とまでは言わないけど、まぁ、そんな感じよね。おそらく日本全国どこでも、見慣れた風景はありがたく思わないもんね。東京に住んでいる人が東京タワーにのぼらないように。
私もここが平安時代からの山桜の名所だったなんて、子供の頃から聞いたことがなかったの。2年前に亡くなった母親は若い頃、ここで花見をしたと言ってたけど、それも昭和30年代までで、私が育つころにはすっかり忘れ去られていたんだって。ソメイヨシノ全盛で山桜はすごく地味に見えたみたい。

私がここのことを知ったのは震災の年に『家庭画報』が大特集をしたからで、「ええ~っ、山ごと桜なんてところ、あったっけ?」とそりゃあ、もうビックリよ。それで居ても立っても居られなくて震災の1か月後に訪れたら、まだ余震が続いていたんだね。何度かゆるく大きく足裏の土が動いたことを覚えている。
お酒とバイオリンで“最高の花見”
その翌年と翌々年、私はここで花見を主催したの。料理とワインと日本酒に加えて、1年目はバイオリン。2年目はオーボエの生演奏を聴きながらはらはらと桜が舞い落ちるって、今思い出しても最高の舞台装置だったと思う。東京から来てくれたMさんは「あんな大々的な花見は経験したことがないわ」と今でも言ってくれるもの。
だから出来れば3年目もやる気でいたのよ。が、ぐずぐずしているうちに桜の時期が過ぎてしまい、その翌年からわが家の雲行きが怪しくなってきたの。まず年子の弟と父が相次いで亡くなったと思ったら母親の体調が思わしくなくなった。倒れた、入院したといっては呼び出され、そうこうするうちに帰省介護。そして葬式。その間に法事が挟まり、もう何が何だか状態で花見どころじゃなかったのよ。

で、今年。私に桜を愛でる気持ちのゆとりが出てきたタイミングで世間的に大注目されたものだから東京で原稿をパチパチ書いていても気になってたまらない。ネット情報によると花見のピークは4月半ばですでに盛りを過ぎていたけど、いやいやいや、山桜は品種がいろいろあってそれぞれ開花時期が違うと、前に聞いた覚えがある。
「4月下旬でも、もしかしたらまだ残っているかもよ」と周囲の仲良しに声をかけると「行く行く。葉桜になってても行く」と都会っ子4人が手をあげてくれた。那須塩原から「行くよ」とAさんも! 弟夫婦がアッシーをかって出てくれて総勢8人。下妻の道の駅で地元料理のあれこれを調達したり、弟夫婦が推薦のコロッケ屋さんでコロッケとメンチを買ったりして人のいない広大な桜の園にビニールシートを広げ、料理を並べたわけ。
新緑の下で、食べる、飲む、話す、笑っているのは私たちだけで、そこに心地よい風がそよそよって、もう、これ以上のことってあるかしら。そうしたら東京組のSさんってば感激して泣き出したりして(笑)

展望台から「青い空に赤いつつじ」
で、公園の奥の磯部稲荷神社に参拝しに行ったら、「まだ咲いている桜があります」と地元の人が案内してくれた。「キクザクラ」だそうだけど、桜というより花びらのかたまりで、ぼんぼりみたい。
とはいえよ。花見に来て花がほとんどないっていうのもどうよ、ということで車で30分。花の盛りを迎えている笠間市のつつじ公園に行って小高い丘を登ると変わった形のもみの木が目を引く。さらに展望台に上がると青い空に赤いつつじ。水を張った田んぼがキラキラと光っている。
前回の花見の時はいた弟、父、母、それから親友のF子に布バッグ作りの仲間だったTさんも、すでにこの世の人ではなくなってしまったけれど、こんな光景を見られるのも生きていてこそだよね。
「めでたさも中くらいなりおらが春」って小林一茶先生! 中の上くらいはいけるんじゃね? なんて思いながら春の風を胸いっぱいに吸い込んだのでした。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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