
イギリス人の祖父を持ち、日本人離れした妖艶な美貌で多くのファンを魅了した中山麻理さん。三田村邦彦との結婚を機に一時引退するも、泥沼離婚を経て復帰。以前と変わらぬ存在感を見せたが、彼女は人知れず表舞台から遠のいた。闘病の末に亡くなった中山さんの晩年とは──。【前後編の前編】
「息子さんと肩を並べて出かけていく姿を、よくお見かけしましたよ。あいさつをすると、気さくに笑顔で返してくれてね。いつ見ても、きれいにお手入れされた爪が印象的でした。ただ今年の春先くらいに、ヘルパーさんのような女性が押す車椅子に乗って外出されていたんです。何かあったのかなと、気になってはいたのですが……」
7月12日に亡くなった中山麻理さん(享年77)の生前の様子をこう話すのは、同じマンションの住人だ。中山さんの三男で、俳優の中山麻聖(36才)が自身のSNSで母の死去を報告したのは7月22日のこと。中山さんは2020年1月に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に麻聖と出演して以降、表舞台から遠ざかっていた。
「中山さんは病を抱えていて、入退院を繰り返しながら闘病を続けていたそうですが、昨年の末頃に病状が悪化したと聞いています。最期は3人の息子さんらが病院で看取りました。葬儀は近親者で執り行われましたが、元夫の三田村邦彦さん(71才)は参列しませんでした」(芸能関係者)
1966年に芸能界入りした中山さんは、1969年にバレーボールを題材としたスポ根ドラマ『サインはV』(TBS系)で主人公のライバル選手を演じてブレーク。以降、多くの話題作に出演して人気女優の地位を確立したが、映画『限りなく透明に近いブルー』(1979年)で共演した三田村と1980年に結婚して芸能界を引退した。
泥沼化した離婚劇
3人の息子にも恵まれて幸せな結婚生活を送るかに見えた。だが1996年に写真週刊誌が三田村と22才年下の女優・高橋かおりの不倫デートを報じると、夫婦関係の綻びと同時に中山さんの意外な一面も注目を集めた。
「中山さんが三田村さんの車を尾行して不倫現場に押しかけたり、2人が電話で“愛してる”と囁きあう会話を、特殊な機器で録音していたなどとも報じられました。中山さんは週刊誌に報じられる以前から三田村さんの行動を怪しんでいて、証拠を押さえようと動いていたようです。中山さんの探偵顔負けの行動力に、世間は度肝を抜かれました」(前出・芸能関係者)

その後、夫婦は訴訟合戦を繰り広げた。中山さんが慰謝料1億円と親権を求めて三田村を提訴したかと思えば、三田村は5億円ともいわれる豪邸のローンや、会社(当時、中山さんが社長を務めていた三田村の個人事務所)に対する費用立て替え分、それに約1億5000万円の財産の返却を求める裁判を起こして反撃。今度は中山さんが不倫相手の高橋を相手取って2000万円の損害賠償訴訟を起こすなど、終わりのない泥仕合が続いた。
当時のワイドショーはこぞってこの泥沼離婚劇を取り上げ、お茶の間の関心事となる中、先に“折れた”のは、中山さんだった。
「親同士が争う見苦しい姿を、子供たちに見せ続けたくないという気持ちが生まれたようです。当時、長男はもう高校生ぐらいでしたからね……中山さんの意向で“三田村さんからの慰謝料はゼロ”“息子3人の親権は中山さんが持つ”ことで、不倫発覚から3年が経過した1999年に離婚が成立しました。
高橋さんへの訴訟も和解で終わらせた。離婚調停中だった1997年には“私が子供たちを養う”として芸能活動を再開。三田村さんとのバトルで深いしわが刻まれた眉間にコラーゲンを注入して、表舞台への復帰準備を進めました」(前出・芸能関係者)
(後編に続く)
※女性セブン2025年8月14日号