みなさんに知ってもらいたいこと
五月と千恵さんには2人だけの物語がある。
「千恵さんは五月さんと最初の夫である西川さんの娘です。このときの離婚条件は五月さんが子供を置いて家を出ることでした。彼女は当時4才だった千恵さんと泣く泣く別れることになりました」(別の芸能関係者)
離れ離れとなった母と娘が再会したのは、離婚から12年後。当時、ロサンゼルスに滞在していた五月に千恵さんが、「一緒に住みたい」と書いた手紙を送ったのがきっかけだった。
「そこから母娘は一緒に住むことになりましたが、2人が別れていたのは、千恵さんが4〜16才の多感な時期で、打ち解けるのには時間がかかったと聞いています。
千恵さんとの空白の時間を取り戻そうとした五月さんは『親子関係にきれい事は通じない』、『娘に隠し事をしてはダメ』と自らの撮影現場にも連れて行くなど、公私ともに包み隠さず明かしたそうです」(前出・別の芸能関係者)
12年ぶりに一緒に住むことになった初日の夜、2人は同じベッドに寝て「夢ではないか」と互いの?をつねり合ったという。ようやく娘と過ごす時間を取り戻した五月は常々、こう口にしていた。
「私の人生でいちばんつらかったのはチーちゃん(千恵さん)と離れ離れになったこと。それに比べたら、ほかの苦労はどれもたいしたことがない」
それから40年以上が経過した。千恵さんはいま施設で、子供時代に過ごせなかった母との時間をやり直しているのかもしれないと話す。
「私は4才から16才まで母と離れて生活したので、小さいときに母と一緒にお菓子を食べたり、何かで遊んだりできなかったんです。でもいまは毎日のようにおやつを一緒に食べています。
それに、母がよく遊ぶというゴムボールを使ってキャッチボールをしたりもするんです。母とのキャッチボールは生まれて初めての経験です。
あとは、母にはまだオシャレしたいという気持ちが残っていて、2人で“どれにする?”“こっちがいいかな?”とその日の気分に合った洋服を選ぶことも本当に楽しいんですよ」(千恵さん)

何気ない母との日常が、人生で最も贅沢な時間だということを噛みしめるように話す千恵さん。そんな彼女が驚いたというのが五月の美意識だ。五月はもともと二科展に入選するほどの絵画の腕前だったが、いまも美的センスは健在だと語る。
「人形やぬいぐるみにお洋服を着せたり、ネックレスを髪飾りにしたりと、センスが抜群でちょっとした置物までアレンジしてかわいくしちゃう。認知症で言葉が出なくてもそうしたセンスはまったく消えていなくて、いまも母はすごくクリエーティブです」(千恵さん)
さらに五月が決して忘れていないもの──それは冒頭で千恵さんが触れた「歌」だという。
「ドラマのせりふなどは覚えていないけど、歌だけは覚えています。DVDで自分が歌っている映像を見るとノリノリになる。それも50〜60代の頃の映像を見ると“あまりかわいくないわね”って表情をするけど、若くてかわいい10〜20代のときの映像が流れると、本当にうれしそうに、時には涙を流しながら口ずさむんです。その姿を見たら今度は私が感動して涙ぐんでしまいます。
この施設に入るまで、私は母のそんな姿を知らず、本当に歌が好きなんだなと知りました。いまは昔のビデオやDVDを母と一緒に見て楽しんでいます」(千恵さん)
最後にファンのかたたちに伝えたいことがあると五月の親族が語る。
「みなさんに知ってもらいたいのは、五月は認知症になっても、明るく過ごしていること。本当に笑顔で楽しそうなんです。いまでも歌が大好きでおしゃれでかわいい五月みどりが元気でいることをお伝えしたいです」
※女性セブン2025年8月14日号