
9月6~8日にかけて、天皇家の長女・愛子さまが新潟県を訪問された。6日午前に行われた悠仁さまの成年式に出席されたその足で新潟入りされると、翌7日には国内最大級の防災イベント「防災推進国民大会」、通称「ぼうさいこくたい」に足を運ばれ、能登半島地震の被災地支援に関する講演を聴講された。

「愛子さまが新潟駅に到着されたのは夜7時頃でした。ハードな1日だったはずですが、お疲れの様子を見せることなく、駅での出迎えに笑顔を浮かべて応えられていました。駅には夕方頃から徐々に人が集まり始め、愛子さまが到着された頃には何重もの人垣ができあがるほどの人気ぶりでした」(皇室記者)

愛子さまが新潟県を訪問されるのは今回が初めてのことだった。それゆえ“愛子さまフィーバー” は連日続いた。
「8日にまず愛子さまが訪れたのは、小千谷市にある錦鯉の歴史などを紹介する『錦鯉の里』という施設でした。過疎化が進み普段はこの辺りを出歩く人は多くないそうなのですが、このときばかりは様子が一変。警備の想定をはるかに上回る人が押し寄せ、愛子さまを乗せた車が通過すると『愛子さま~!』という歓声が飛び交ってました。

錦鯉の里で、愛子さまは鯉の餌やりや放流を体験されました。ご自身も以前金魚を飼っていたことがあるそうで、当時の経験を交えながら観賞魚の飼育方法について熱心にご担当者に質問されていたのが印象的でした」(前出・皇室記者)
これまで1泊2日の単独地方公務しか経験のなかった愛子さまだが、堂々とした振る舞いで3日間にわたり務めを果たされた。そんな愛子さまの手には “お守り”がしっかりと握られていた。
「白いセットアップに同色のパンプスを合わせた爽やかな装いだった8日、愛子さまがお持ちになっていたのは、オフホワイトのバッグでした。これは以前、母の雅子さまも公務に際してお持ちになっていたものです。たとえば2002年6月に国立成育医療センター開設記念国際シンポジウムに出席された際には、若草色のスーツにこのバッグを合わせておられました」(皇室ジャーナリスト)

それから20年以上の時が経ち、バッグは愛子さまへと受け継がれた。

「実は愛子さまがこのバッグを公務でお持ちになるのは今回が初めてではありません。2024年5月に初めての単独公務として、国立公文書館で行われた企画展『夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―』を鑑賞された際も今回と同じバッグを手にされていました。

初の単独公務に続き、今回は初の2泊3日での地方公務。ここぞというときの公務では“お守り”として母のバッグをお持ちになることで、緊張をほぐされているのかもしれませんね」(前出・皇室ジャーナリスト)
母の存在が愛子さまを強くしているようだ。



































