
無事、滞りなく終えられた悠仁さまの成年式。将来の天皇へ向けて、国母が慈愛のまなざしを向けられたが、9月6日の夜に帝国ホテルで行われた祝宴に、愛子さまが現れることはなかった。背景にちらつく、兄嫁と弟嫁の32年にわたる積年の“因縁”とは──。
「愛子さまは、成年式の中心的な行事である『加冠の儀』に出席された後、水色のパンツスーツに着替えられ、足早に東京駅へと向かわれました。7日からの新潟でのご公務のため、新幹線に飛び乗って行かれたのです。
とはいえ、帝国ホテルから東京駅までは車で10分もかかりませんし、最終列車に及ぶような時間帯でもなかったのですが……。もちろん愛子さまが独断で祝宴を欠席されることはありませんから、最終的には両陛下のご判断によるものだと思われます。いささか、天皇家と秋篠宮家との“距離”が感じられる光景でした」(宮内庁関係者)
ただ、愛子さまにとって今回のご公務は、何にも代えがたいものだった。
「愛子さまは災害関連のご公務を何よりも大切にされている。今回は日本最大級の防災イベントである『防災推進国民大会』に参加されるほか、2004年の新潟県中越地震の復興状況を視察されるとあって、祝宴よりも優先されたのでしょう。
紀子さまにとっては、悠仁さまの慶事の最中に、愛子さまが国民の注目をさらってしまうことは不本意だったでしょうが……。実際、現地は愛子さま一色で、長岡駅では見送りに訪れた人々が駅前のロータリーにおさまらず、大通りにまで人があふれるという熱狂ぶりでした」(皇室記者)
皇室では40年ぶりの成年式という悠仁さまの慶事。その祝宴を、天皇家の長女である愛子さまが欠席されるというイレギュラーな事態に、関係者の間では波紋が広がっていた。
「日程のバッティングが発表されたとき、庁内では衝撃が走りました。何しろ、将来の天皇、そして秋篠宮家にとっての一世一代のお祝い事ですからね。天皇ご一家と皇嗣ご一家に仕える双方の職員たちの間で、うまく意思疎通が取れていないことも理由の1つだったようですが、その背景には、雅子さまと紀子さまの平成時代からの“宿縁”があるのではと、指摘する声すら上がったのです」(別の宮内庁関係者)
雅子さまが帰られた1時間近く後に
雅子さまが陛下と結婚され、皇室入りされてから今年で32年。振り返れば、雅子さまと紀子さまは義理の姉妹として、常に比較されるお立場だった。
「先に皇室入りされたのは紀子さまです。一般家庭のご出身で“3LDKのプリンセス”と呼ばれた紀子さまは、ご結婚にあたって美智子さまのビデオを取り寄せ、細かな言葉遣いやちょっとした仕草まで研究されるほどでした。そのようにご自身を慕われる紀子さまを、美智子さまは大変にかわいがられたのです」(前出・別の宮内庁関係者)
雅子さまが皇室に入られたのは紀子さまの4年後。宮家に嫁いだ紀子さまよりも上のご身位となる、皇太子妃となられた。
「ところが平成の時代、当時皇太子ご夫妻だった両陛下のご公務の日程に、秋篠宮家の私的行事が重なることがたびたびありました」(前出・別の宮内庁関係者)
たとえば、両陛下が東日本大震災の被災地を初めて訪問された2011年6月のことだ。
「震災発生後、いち早く現地を訪問され、避難生活を送る被災者たちの手を取り、語りかけられる上皇ご夫妻のお姿は多くの国民を感動させました。一方で、ご体調不安が続き、なかなかご訪問が実現できない雅子さまには厳しい声もありました。それだけに当時の雅子さまにとっては、重要な意味を持つご訪問だったのです」(前出・別の宮内庁関係者)
そうした背景がありながら、秋篠宮ご夫妻は両陛下のご訪問のタイミングで悠仁さまを伴い、上皇ご夫妻のご静養に合流されたのだ。
「ご公務は招待を受けて出席されるものですから、皇族側が日程を調整することは難しいですが、私的行事は皇族方のご意向によるもの。何も雅子さまがご快復に向けて模索されている最中に、あえて上皇ご夫妻のもとに合流し、雅子さまのご公務の話題をかき消すようなことをする必要はなかったと思うのですが……」(前出・別の宮内庁関係者)

さらに2013年、美智子さま79才の誕生日の出来事も、一部関係者の間で物議を醸した。
「例年通り、皇居でお身内でのお祝いの食事会が開かれました。お開きになってから両陛下は帰宅されましたが、秋篠宮ご夫妻が帰宅されたのは、それから1時間近くが経ってからでした。これでは両陛下からすれば“仲間外れ”にされたと感じてもおかしくない。雅子さまはこのことを後から報道で知り、驚かれたそうです」(前出・別の宮内庁関係者)
両陛下への配慮を欠くとまで指摘されたこうした動きは、悠仁さまが誕生されてから目立つようになったと指摘する向きもある。
「特に、紀子さまの雅子さまへの遠慮が少なくなったようにも感じられました。当時の雅子さまにお仕えしていた元側近は、“舅姑から厳しい指摘を受けるのは、まだ納得できるもの。しかし弟の妻、義理の妹にないがしろにされるのは、大変厳しいものだ”と、雅子さまのお気持ちを拝察し、しみじみと言葉を絞り出していたといいます。
先日の『ナイチンゲール記章授与式』で物議を醸した、紀子さまによる雅子さまへの無礼とも取られかねない浅い角度でのお辞儀も、こうした行動の延長線上にあるのかもしれませんね」(前出・別の宮内庁関係者)
そうした時期を経て、令和の皇后となられた雅子さま。ご体調は《いまだご快復の途上にある》とされているものの、成年皇族として輝かしく成長された愛子さまとともに、国際親善や被災地訪問、慰霊の旅などさまざまな場面で活躍され、雅子さまらしい輝きを放たれている。
「今回、愛子さまが祝宴よりご公務を優先させることに対しても、雅子さまは何ら迷われなかったのではないでしょうか。最近では、愛子さまと悠仁さまという次世代の皇族方の“日程かぶり”も散見されます。
先日は、宮内庁のインスタグラムに秋篠宮家の写真が初めて投稿された直後、天皇ご一家のプライベート感あふれるお姿が発信され瞬く間に『いいね』を集めました。こうした天皇家と秋篠宮家との間の“隔たり”を思わせる出来事は令和の御代になっても続いていますが、中には、“平成時代の意趣返しのようだ”という声も聞こえてくるほどです」(前出・皇室ジャーナリスト)
世紀の舞台の裏側で交錯した積年の思い。兄嫁と弟嫁、2人の妃の宿縁はこの先も続いていく。
※女性セブン2025年9月25日・10月2日号







