
行く先々でフィーバーを巻き起こすプリンセスの、次なる来訪先が発表された。一方、関係者の間では悠仁さまの晴れ舞台との“バッティング”に、動揺が広がって──重複日程から浮かぶ、プリンセスが長年あたためてきた慈愛に満ちた思いとは。
強張った表情で横目でちらり
8月22日、紀子さまと愛子さまがご公務で並び立たれる場面があり、周囲に緊張感が走った。
「『第9回アフリカ開発会議』に出席した各国首脳たちが皇居・宮殿に招かれ、宮中茶会が開かれました。雅子さまをはじめ、夏らしい爽やかな色合いの和服をお召しになった女性皇族方が勢揃い。中でも若草色の振袖に身を包んだ愛子さまは、ひときわ輝きを放っておられました。
アフリカの国々の首脳陣が、一列に並んだ皇族方に順番に挨拶をしていくのですが、愛子さまの立ち位置は紀子さまのすぐ後ろ。紀子さまの直後に、愛子さまが挨拶をされるという順序です。
そんな中、紀子さまがとある国の王族と通常の握手を交わされた直後に、愛子さまは膝を折り、相手に最大級の敬意を表する『カーテシー』のお辞儀をなさった。紀子さまはそのとき愛子さまを少し強張った表情で、横目でちらりとご覧になっていました。愛子さまがご自分と違う動きをなさったことに、動揺されたのでしょう」(宮内庁関係者)
天皇家の長女として、はるばるアフリカから訪れた首脳らを笑顔でもてなされた愛子さま。茶会で皇族としての務めを果たされた後は、華やかな振袖姿からは一転、オフィス用の服に着替えられ、なんと勤務される日本赤十字社へと足早に向かわれたのだった。
「このところ、愛子さまはとても忙しくされています。残業のため、退勤が20時を回ることも珍しくなく、お盆休みの期間も出勤されていました。土日返上で出勤されることも、一度や二度ではありません。今年の夏は両陛下のご静養に同行されて雅子さまをねぎらわれましたが、休んだ分をとり戻そうと、責任を持って働いていらっしゃいます」(日本赤十字社関係者)
皇室を担う成年皇族として、そしてひとりの若い社会人として、充実した日々を送られている愛子さま。そんな中、愛子さまのさらなるご活躍が期待できるニュースが飛び込んできた。
「9月6日から2泊3日で、新潟県を訪問されることが発表されたのです。現地では日本最大級の防災イベントである『防災推進国民大会2025』に出席され、能登半島地震の被災地支援にかかわるセッションを聴講されるほか、2004年の新潟県中越地震の被災地の復興状況を視察される予定です」(皇室ジャーナリスト)

愛子さまにとって単独地方公務は4回目となるが、おひとりで複数泊されるのは初めて。喜ばしい報せである一方、この発表を受け、一部の関係者の間ではどよめきが広がった。その日程が、悠仁さまの成年式と重複していたためだ。
「皇室では、皇族方のご公務や私的行事の日程が重ならないように配慮するという暗黙の了解がありますから、愛子さまのご公務の日程が発表された際は、率直に言って大変驚きました。
成年式は秋篠宮さま以来40年ぶりの一大イベントであり、将来の天皇である悠仁さまにとっては、その存在を国内外に広くアピールする機会として何よりも重要な行事です。実際、悠仁さまは大学の夏休みの間、儀式の作法の修得に多くの時間を割かれていました。紀子さまも悠仁さま以上に、神経をとがらせていらっしゃいます」(別の宮内庁関係者)
悠仁さまの晴れ舞台と愛子さまのご公務がかち合う事態に、関係者の間ではこんな声も上がっている。
「昨今の“愛子さまフィーバー”とも言うべき人気ぶりを鑑みると、愛子さまが地方を訪問されれば、国民の注目がそちらに傾くことが予想されます。
数十年に一度の慶事とはいえ、儀式の様子は単調で、どこか既視感もありますからね……愛子さまのご活躍が、悠仁さまの晴れの舞台に対する国民の関心をかき消してしまうことは想像に難くない。そのため、“悠仁さまの成年式がないがしろにされているのでは”と指摘する声が上がったのです。中には“意図的に日程を重ねたのでは”という声まで聞こえてくる事態になりました」(前出・皇室ジャーナリスト)
宮内庁長官から異例の謝罪
関係者のざわつきが大きくなったのは、愛子さまと悠仁さまには過去に“日程かぶり”の因縁があるからだ。
「お二人にとって重要な日が重なるのは、これが初めてではありません。遡ること3年前の2022年、悠仁さまの中学校の卒業式と、愛子さまの成年会見が同日に行われたことがあったのです。いずれも重要な節目であり、調整の不備ではないかと、日程が発表された直後から担当記者らは騒然となった」(前出・皇室記者)
その1週間後、宮内庁長官は記者会見で“私のミス”“できれば別の日がよかったと個人的には思う”と、異例の発言をする事態にまで発展した。この“バッティング”に、当時の紀子さまは複雑な感情を抱かれていたという。

「これまで紀子さまは、悠仁さまが多くの国民から認められる天皇になるよう、“箔付け”に励んでこられたとみる向きもある。そのうちの1つが“学歴”だったのでしょう。悠仁さまは皇族として初めてお茶の水女子大学附属中学校に進学、その後全国でも指折りの進学校である筑波大学附属高校に進学されました。最終的には筑波大学に進学されましたが、以前から“紀子さまは悠仁さまを東大に進学させたいとお考えである”と囁かれていた。
紀子さまとしては、進学校へのご入学を前にした中学校の卒業式は、悠仁さまの優秀ぶりを国民に対して示す千載一遇のチャンスだったのです」(前出・別の宮内庁関係者)
その晴れの日に重なったのが、愛子さまの成年会見だった。
「愛子さまはご自分の言葉で、時折ユーモアも交えながら成年皇族としてのご覚悟を語られました。特に雅子さまへの感謝のお言葉はいまも語り草で、当日の報道は愛子さま一色。その鮮やかなご成長ぶりが大いに示され、“愛子天皇待望論”が盛り上がるきっかけにもなりました。
その日、愛子さまの話題が大きな関心を集めたことで、悠仁さまの優秀さを示す機を逸された紀子さまは悔しさにも似た焦燥感を覚えていらっしゃったといいます。宮内庁長官はそうした紀子さまの心境をくみ取って、異例の謝罪に踏み切ったのです」(前出・別の宮内庁関係者)