「今後も精進して参ります」
大阪府出身の豊川は1989年に映画『君は僕をスキになる』でデビュー。以降、ドラマ『愛していると言ってくれ』、『青い鳥』(ともにTBS系)など人気作品に出演し、1990年代には“キムタクのライバル”と称された。その後、年齢を重ねるとともに渋みや重厚感が増し、演技の幅が広がった。バラエティー番組にはほとんど出演せず、物静かで謎めいた一面を持ちつつ、人柄のよさも知られる。
「仕事仲間に細やかな心遣いをするかたで、ある映画の打ち上げでは、スピーチの場で当日が誕生日のスタッフの名前を挙げて、感謝を示して祝福したことも。関西人ならではのノリのよさもあり、映画『後妻業の女』に出演した際には、水川あさみさん(42才)らと関西弁で和気あいあいと盛り上がっていました」(前出・芸能関係者)
プライベートでは1997年に結婚して1男1女に恵まれるも2005年に離婚。現在は2度目の結婚生活を送る。
「13才年下の元エステティシャンの女性との事実婚状態が長く続き、彼女が女児を出産したのを機に2015年に再婚。同時期に鎌倉に居を構えました」(前出・豊川の知人)
3年前に還暦を迎えた頃から、豊川の生活は少しずつ変わっていった。
「多いときは年に十数本の映画出演をストイックにこなしていましたが、近年は健康を気遣って仕事のペースを落とし、家族と過ごす時間を増やすようになりました。今年は例年以上に仕事を入れていないと聞いています」(前出・芸能関係者)

所属事務所に坊主姿の真相や現在の体調を尋ねたところ、こう回答した。
「坊主頭は、撮影を控えている作品の役作りの一環です。変わらず腰痛とは闘っておりますが、いただいた役柄や作品と向き合って、いいものを届けられるように、今後も精進して参ります」
豊川の生活スタイルにも変化が見られるという。
「最近は、自宅の近所で愛犬を散歩させる姿も見かけられなくなったそうです。私が聞いたのは、しばらく映画などに出られる状況ではない、ということ。いまは大きな作品の撮影に区切りがつき、時間が空いている期間のようで、治療に専念するために思い切った行動もできるチャンスでした。彼の原動力は最愛の家族のために元気で居続けたいという思い。そのためにトレードマークの長髪をかなぐり捨てて、不屈の覚悟で病と闘う道を選んだのです。
彼の存在感は唯一無二で、ハリソン山中含め、彼にしか演じられない役柄がある。若い頃から映画に憧れてキャリアを積み上げてきた役者だけに、なんとか病を克服し、これから“集大成”としての演技を見せたいとの思いも強いはずです」(前出・豊川の知人)
冒頭の場面、坊主姿で現れた豊川の目力は強かった。孤高の輝きを放つ俳優は、常に前を向いて歩んでいく。
※女性セブン2025年10月16・23日号