
広島から上京して約40年、希代のミュージシャンにして俳優の来し方が詰まった書籍になるはずだった。しかし、そんな自伝が突然の刊行中止を迎えてから約2週間、誰もが首をひねる異例の事態の背後に浮かんだ個人事務所の異変とは──。
《楽しみにして頂いていた方々、制作に関わった方々には大変申し訳ありません。すべて私の不徳の致すところです》
10月10日、吉川晃司(60才)が自身の公式サイトを通じて、11月中旬に発売予定だった書籍『職業、吉川晃司』(文藝春秋)の刊行中止を発表した。発売まで残り約1か月。予約も受け付けていた段階での異例の“ドタキャン”に、心待ちにしていたファンや書籍にかかわった関係者は困惑しきっていたという。
「すでに原稿は完成し、全身黒い衣装に身を包んだ吉川さんがハイキックを繰り出す書影も公表されていました。前評判は高く、版元は初版発行部数7000部を見込んでいましたが、校了作業が終わった3日後に突然、吉川さんサイドから“発売を中止したい”という申し入れがあったといいます」(出版関係者)
変更点や修正箇所がある程度なら発売日を延期する選択もあったが、すべてを白紙に戻すという吉川の決断が揺らぐことはなかった。
「8月18日に誕生日を迎えた吉川さんは、還暦の節目に半世紀以上にわたる活動の軌跡を語りおろした書籍を発売することを公式サイトで告知し、《この本で、丸裸になってみようと思う》と前向きなコメントを寄せていました。《石橋は叩いて渡らず泳げばいい》、《俺は東京ではヒヤシンス》などの独特な“吉川語録”とともに、吉川さんが自分自身の生き方に迫る、これまでにない意欲作になるはずだったのですが……」(前出・出版関係者)

吉川はドタキャンの理由を《自分で己の人生を解説してはいないかという疑問が湧きそれを払拭できず断念しました》と説明しているが、額面通りに受け取る関係者はいないだろう。
「これまでにも吉川さんは過去に出版した複数の書籍やインタビューで、自分の半生を何度も振り返ってきました。書籍に先駆けて同じ版元が広告案件で制作した『文藝きっかわこうじ』でも、幼少期やデビュー当時のことを饒舌に語っています。
何より、途中で仕事を投げ出すことは“やらないで終わるより、やったけどダメだったの方がよい”という吉川さんの哲学に反する。よほど気に入らないことがあったのか、何か中止せざるを得ない事情があったとしか考えられません」(レコード会社関係者)
ドタキャン騒動の直前には、吉川の個人事務所で“異変”が起きていた。
「実は、今年の夏頃、20年以上にわたって吉川さんを支えてきた敏腕チーフマネジャーのAさんが、吉川さんの元から去っているんです。Aさんは公私で吉川さんをサポートしてきた“右腕”のような存在で、突然の退社は音楽業界に波紋を広げました。重要な仕事を取りまとめ、書籍の企画にもかかわっていたAさんがいれば、少なくとも刊行が中止になるような事態にはならなかったはずです」(前出・レコード会社関係者)
A氏は吉川にとってかけがえのない仕事上のパートナーであり、ファンの間でも体を張って吉川を守る名物マネジャーとして知られていた。
「もともとは別の事務所のスタッフだったのですが、CDの楽曲制作などを手伝ううちに仕事ぶりを高く評価され、吉川さんの個人事務所で働くようになったそうです。吉川さんは2009年に38才の若さで亡くなった川村カオリさんのプロデュースをAさんに託し、東日本大震災の復興を支援するために、2011年7月に布袋寅泰さんとCOMPLEXを再始動したときも現場の仕切りを任せていました。暴走しがちな吉川さんをコントロールしながら、大きなプロジェクトを次々に成功に導くAさんは業界でも一目置かれる存在だったのです」(音楽関係者)