
いつも笑顔で前向きなアンミカさんの“ポジティブ新連載”「アンミカのカラフル幸福論」が、「女性セブン」でスタートします! お迎えしたゲストの人生を、軽快かつ深みのあるトークで深掘り。アンミカさんの彩りある言葉がゲストの心を開いていき―読むだけで幸せになれる「ポジティブトークショー」開演です!今回は、女優の大地真央さんが登場します。
大地さんのようにこの瞬間の輝きの連続が未来へつながっていく感覚を持ちたい
アンミカ:対談の記念すべき1回目のゲストにお越しいただいて光栄です! 宝塚歌劇団といえば、私が育った関西ではみんなの憧れの存在ですし、私自身もすごく憧れていて。そんな宝塚の大スターをお迎えできて、もうわくわくが止まりません。
大地:私も今日の対談を楽しみにしていました。突然ですけどそれほど宝塚がお好きで、こんなにお綺麗なのに、入団を考えたことはなかったんですか?
アンミカ:そんなそんな。自分には遠い世界で、入る手段を調べようと思ったこともありません(笑い)。大阪では週末になると宝塚がテレビで放送されていて、子供の頃から夢中で見るばかりでした。
大地:『ザ・タカラヅカ』(1971~1979年に放送された宝塚の舞台中継)とかかな。
アンミカ:はい! 母と一緒に「いつか背が伸びたら、こんなふうにステージで歌やダンスをしたら素敵だねぇ」なんておしゃべりしながら見るのが週末の楽しみで。大地さんは幼い頃から、宝塚がお好きでいらっしゃったんですか?
大地:そんなことはまったくなくて、私の場合はただ漠然と芸能界に憧れていたんです。ただ、じつは子供の頃は内弁慶だったんです。いまの自分がふしぎなくらい。
アンミカ:想像がつきません!
大地:人前に出たい気持ちはあるのに、いざとなると逃げてしまうタイプでした。町内会ののど自慢も、姉と『可愛いベイビー』を何度も練習したのに出番直前になって「いやぁ、だめ~」と出なかったの。そのくせ家ではステレオをかけて、母や姉たちと女4人でゴーゴーを踊ったりして。
アンミカ:とっても明るいおうち!
宝塚の面接で「もう来ませーん!」
大地:芸能界に憧れるようになったのは中学校に入ってからかな。義理の兄が素人劇団で主役をしていたんです。家族で舞台を見に行ったときに2階席からホリゾント(舞台背景の幕やその照明)の明かりに吸い込まれるような感覚があって。“演劇の世界ってすごい!”って、演じることへの興味が湧き上がってきたんです。
アンミカ:ホリゾントに導かれたとは! “最高のコメディエンヌ”とも評され、ユーモアも持ち合わせる大地さんですが、舞台や演劇への興味が大地さんのシャイな性格を変えたんですか?

大地:内弁慶ではあったけど幼稚園の頃からシャレを言ったりして、笑いを愛する子でもありました。おしゃまでしたね。小学校では誰よりも早くカラータイツをはいたり、6月に衣替えをしたらいきなりノースリーブのワンピースで学校に行くような子で。
アンミカ:おしゃまさんだから誰よりも先に着たい、って。
大地:そうそう。でも好奇心旺盛なぶん、小さい頃は何をやっても続かなくて、日本舞踊も、ピアノも、お習字も、そろばんも、英語もどれも中途半端。唯一続いたのが宝塚でした(笑い)。音楽学校に2年、歌劇団に12年4か月かな。
アンミカ:代表作となる『マイ・フェア・レディ』のイライザ役は足かけ20年も演じてこられましたし、宝塚へ入団されて以降のご経歴からすると、何も続かなかったなんて意外です。
大地:これじゃない、これも違う、というふうに、何かを探し求めていたんだと思うんです。
アンミカ:その先についに見つけたものが、宝塚だったんですね。宝塚音楽学校に関心を持たれたときのご両親の反応が気になります。
大地:父が堅い人で“芸能界なんて”といい顔はされなかった。いま思えば私自身、具体的な夢を描く段階までは至っていませんでした。
アンミカ:昔気質のお父さまでいらっしゃったのかしら。
大地:職業軍人だったんです。ただ、私は三姉妹の末っ子で父が42才のときの子なので、どこか一人っ子のような感じで育ち、芸能界入りに反対しながらも将来を特に心配してくれていて。父が親友に私の話をしたら、その友人がたまたま宝塚ファンでいらしたんです。信頼する友人に「宝塚なら安心だ」とすすめられたので父も「受けてみるか?」と。
アンミカ:ご友人の声を大事にされるのも昔気質なお父さまらしいですね。そのおかげで、OKが出て。
大地:そこから宝塚の受験勉強を始めたのですが、淡路島は当時まだ橋(明石海峡大橋)がなく船で神戸まで行って、阪急電車に乗って、レッスンに通うのに片道3時間ほどかかりましたね。約3か月、土日にクラシックバレエや声楽を習って。それで、宝塚を見たこともないままに受けてみたら、ありがたいことに1回で入学できたんです。
アンミカ:同級生のみなさんも驚かれたんじゃないですか。
大地:そうですね。15才、中学3年生の終わり頃でした。軽い気持ちで受験したので面接で「キミ、今年落ちたらどうする?」と聞かれて、「もう来ませーん!」と言っちゃったんですよ(笑い)。
アンミカ:先生たちも、もう受けないと言われて焦ったでしょうね。
大地:想像していない答えだったとは思います。でも入学から10年くらい経ってトップを務めさせていただいたときに、審査員でもあられた内海重典先生に「僕たちは、そのときにできているかではなく、可能性を見ているんだよ」と言われました。先生はどんな可能性を感じてくれたのでしょうね。
スーパーの入り口でミカン箱に乗って歌った
アンミカ:宝塚音楽学校に入るまでに見えないご苦労もされたとは思いますが、ご経歴はとても華やか! 入学されて、成績は最初からよかったんですか?
大地:よくないですよ。入ったときは49人中42番…。それでも“あ、まだ私より下がいたんだ”と、のんきな気分で。
アンミカ:大地さんのポジティブさの源泉に触れた気がします。私は大地さんのSNSを欠かさず見ていまして、“私も毎日笑って過ごそう”と自然に気持ちが軽くなるワードがいっぱいで大好きなんです。当時から、その軽やかさがあったんですね。
大地:SNSを見てくれているのね、うれしい。淡路島の自然の中でのびのびと育っていたからか、確かにのんきな性格ではありましたね。だから音楽学校の厳しい校則や寮の規則に“えっ”とショックを受けたりして。
アンミカ:親元を離れて急に規則だらけの環境へ入ったら、それは戸惑いもありますよね。
大地:それでも宝塚の毎日が楽しくて、苦ではなかったんですよね。
アンミカ:くじけそうになる時期はありませんでしたか。
大地:それはありました。でも何でも面白がっていたところがありましたね。宝塚の外部とお仕事する機会もあったりと、あの時代では珍しいキャリアでしたし。
アンミカ:宝塚の外でもタレント的な活動があったのですね!
大地:ちょうど宝塚が世の中へ出ていこうとする時期だったんです。下級生の中からレコード歌手としてデビューさせるためのオーディションがあって、受けたらたまたま合格しちゃって。1年半の期限付きで活動をしました。舞台が本業なのに、スーパーの入り口でミカン箱に乗って歌ったこともあるんですよ。
アンミカ:えぇー!?
大地:阪急電車の社員のかたがマネジャーで、当時はオープンリールデッキ。パチンと押して音楽を流して。地方のレコード店を回ってサイン即売会をしたこともありました。
アンミカ:スターへの道をまっすぐ歩かれてきたとばかり思っていましたが、過去を辿っていくとご苦労を経たからこそのいまの輝きがあるんだと改めて気づきました。当時は焦りもありましたか?
大地:19才くらいでしたが、それはなかったです。テレビ番組のお仕事で毎週東京へ通ったのですが、期限付きだからむしろ楽しんでいたんです。そのときに「ウチへ来ない?」とお誘いをいただくこともありましたね。
アンミカ:芸能事務所からスカウトがかかったんですね。
大地:そうなんです。だけど私は宝塚でトップになるかどうかではなく“やりきったと思えるまでいよう”と決めていたので、悩むこともありませんでした。
その少し前、宝塚で『ベルサイユのばら』が始まる前後あたりは「宝塚調でしょう…」といった、世間の偏見を感じることもあったんです。いまでは宝塚も評価していただける時代になりましたけど、当時はまだそこまでではなくて。でもその環境だったからこそ逆に宝塚愛がより深まって、“この人たちに宝塚を認めさせたい”と燃えたんです。絶対にやめるもんかって、まだまだペーペーの下級生なのに(笑い)。
アンミカ:どんな経験も前向きにバネにされる。やりたいことははっきりされているけれど、無欲なかただとも感じます。
大地:そう、無欲です。
伝統を受け継ぎ、受け渡すことは大前提だけれど、その中に新しい風をね
アンミカ:入試での「もう来ません」もそうですし、大地さんにはその場にしがみつこうとするような執着がないのかもしれませんね。それでもひとつのことを突き詰めて、遠回りか近道かわからない経験をされているうちに「宝塚のお芝居が好きだ」と、心から思える大切なものへ辿り着かれた。

大地:“宝塚調”という批評に耳をふさいで閉鎖的になるのではなく、宝塚に色々な空気を取り入れるべきだとヒントにしたんです。伝統を受け継ぎ、受け渡すことは大前提だけれど、その中に新しい風をね。発声法や演技法やメイクを研究して、もっと自分自身も開拓していかなくちゃと考えました。
アンミカ:伝統はそうやって時代と手をつないで前へ進めながら後世へつないでいくことで、新たな形になっていく。大地さんが走り続け、輝き続けていらっしゃるのは、その心意気なのかなと思います。ご自身が宝塚への想いが強いからこそ、いい意味で“宝塚っぽくない”存在になられたように感じます。
「そこにある幸せ」を探す!
大地:ありがたいことに、そう言っていただけることはありますね。私がトップになって新しいカテゴリーができて、そこを目指す下級生がでてきて。真矢ミキちゃんも“異端児”と言われながら新しいことにどんどん挑戦して、これまでにない男役像を生み出しました。そうした新しい風は見ていてうれしいです。
アンミカ:閉塞感が漂う時代に生きているとどうしても将来が不安で、過去を憂い、いまがおろそかになりがち。わくわく感より“心配だから”“また失敗しそうだから”と未来や過去から見た“安全ないま”を選んでしまっている。大地さんのようにこの瞬間の輝きの連続が豊かな未来へつながっていく感覚が持てることが素敵な人生を作るんだと学びました。大地さんは、日々過ごすなかで何をしているときが幸せですか。
大地:幸せって色々なところにあるのでこれひとつ、というのはなかなか挙げにくいけれど…。舞台で歌ってお芝居をして、お客さまに笑顔と温かい拍手をいただくと、なんともいえない幸せを感じますね。コロナ禍では制約が多かったですが、規制を逆手にとることで新しい表現もできた。通し稽古でマスクを外したら「この場面でこんな表情をしていたの?」なんて発見があったのも面白くて。
アンミカ:逆境も楽しまれる! 大地さんはどんな状況でも笑顔を保ち、ネガティブな言霊が聞こえてきません。“そこにある幸せ”を探すことが大切なんですね。大地さんの言葉に耳を傾けると、「あぁ、私たちは幸せなんだな」と気づけて、心が温かくなります。
大地真央さんのHLLSPD
大地真央さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
おいしいものを食べているとき。
Lucky:最近小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
外出時は雨が降っていてもやんだり、小雨になることが多い。
Love:あなたが愛してやまない宝物は?
愛猫。
プライベートでの幸せな瞬間から父親との別れまで――。ディープな後編は次回!
◆アン ミカ
1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。20個以上の資格を生かし、さまざまな商品をプロデュース。
◆大地真央
兵庫県出身。宝塚歌劇団に入団後、月組男役トップスターとして一時代を築く。退団後は、舞台を中心にテレビ、映画、CMで輝きを放ち続けている。芸術祭大賞ほか、受賞歴多数。
衣装/ジャケット・パンツ ジョセフ、ブラウス ZARA、ブレスレット・ピアス グロッセジャパン(アンミカさん)、コルコバード(大地真央さん)
※女性セブン2026年1月22日号