
外国からの観光客が多い、今の日本。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんは、観光客への違和感を抱くこともあるという。オバ記者が、自らの深層心理を分析する。
増え続けるインバウンドとのギクシャク
何はともあれ、年が明けたのは喜ばしい!と、60才を超え70が目の前に迫ったいま、心からそう思う。
そりゃあ、体のあちこちに不具合を感じる日もあるし、通帳を開けば瞳孔が開きっ放しになったりもするけれど、悲観も楽観も気の持ちよう。今日、いま、このときだけやり過ごすことができれば、まぁ、いいじゃないの、というのが私の基本スタンスだ。
と言いつつ、今年は増え続けるインバウンドとのギクシャクに悩まされる年になるんじゃないか、と思ったりね。
先日も地下鉄に乗ったら、7人が座れる横一列の席に、インド系の人が5人座っていたのよ。大きな目に長いまつげの彼らからギロッと見られると反射的に身がすくむ。もちろん、彼らは私の方をただ見ているだけだとわかっているんだけど、日本人って、電車内で他人を正面から見据えることがないから、戸惑うんだって。こちらにゆとりがあるときなら、「まぁ、ご時世だねぇ」と目を細めていられたけど、体を目いっぱい酷使したバイト帰りの私にその余裕はなかった。

電車の中では、さらに中国系の若い男女3人が私の横で大声で話し出したからたまらない。意識するからなのかもしれないけど、最近、中国系の人の会話がやたら耳につくんだわ。音量が大きめなだけじゃない。一方が話し終わらないうちに仲間が言葉をかぶせてくる。3人グループなら“三重唱”だ。地方に住む車にしか乗らないK子にそのことを話すと、「“かえるの合唱”状態ってこと?」と返ってきたけど、いやいやいや。輪唱は耳に心地いいけど、“かぶせ話法”は音の抑揚が激しいから、近くでやられると耳の中がパニックよ。
あと、エスカレーターを降りたところでたむろして、どっちの方向に行くかを相談して動かないのは東南アジア系全般に見られる傾向だと思うね。これ、ほんの数秒でもやられると後ろにいる方はたまらないよ。あるとき、「邪魔ぁー!」と日本語で怒鳴った女性がいて胸がスカッとしたけど、たいがいの日本人は「まぁ、いいか」とやり過ごすんだよね。
58年前に叔母が教えてくれた都会のお作法
とまぁ、街に出ると小さなストレスの連続だ。「ああ、だから物見遊山のインバウンドはイヤなんだよ」と心の中で毒づきそうになったところで、むむむ──記憶の底から何かが浮かび上がってきた。
あれは58年前、私が10才のときのこと。東京・新宿区の住宅街に住んでいる叔母の家にひと夏、小さないとこの子守り役として預けられたの。そのときに叔母から繰り返し注意されたのが、私の声の大きさだ。
「そんなに大声を出さなくてもいいから」と最初は静かに、そのうち「シーッ! うるさいっ‼」と顔中に怒りを集め出した。私は田舎では声が大きいと言われたことがない。なんでも、私の声は隣の家にまで丸聞こえで、「田舎から親戚の子が来ているのね」と皮肉交じりに言われたのだとか。必死に中産階級を気取っていた叔母にしてみれば、たまったもんじゃなかったんだと思う。
もうひとつ叱られたのが、人を指さすクセだ。変わった服装をしている人を見て「おばちゃん、ほらあの人」と言った途端、「指ッ!」と低い声で怒られた。そのおかげかどうか、大人になってからの私は、酔っ払ったとき以外は「声がでかい」と言われることはないし、人に後ろ指をさされることはあっても、指さすことは絶対にしない。やられたらイヤだもんね。そんなわけで、都会のお作法を教えてくれた叔母には感謝しかない。
「子供叱るな、来た道だもの。年寄り笑うな、行く道だもの」と、これはラジオで聴いたフレーズだったかしら。ずいぶん前に耳にして、いい言葉だなと思った覚えがある。自分のことを棚に上げそうになると、思い出して戒めている。
そうか、58年前の私と同じように、東京に慣れていない外国人の所作を見て「不快」と思ったときは、そう思えばいいのか。
とはいえ、これはゆとりをかましているときの私。いつ切羽詰まって、「これだから外国人は」とわれを忘れるか、これまたわかったもんじゃないんだけどね。
そんなわけで、この一年、少しでもいいから心にゆとりがある年になりますように、と願わずにいられない。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2026年1月22日号