
長らくテレビ界に君臨した久米宏さん(享年81)は、スポットライトの当たる場所を離れてから、ひっそり病魔と闘っていた。時に批判をされても貫いたニュースキャスターとしての哲学とは──。【前後編の前編】
都心の高級マンションから颯爽と出てきた、淡いブルーのポロシャツにデニムパンツ姿の男性。これは、いまから1年半ほど前の久米さんの様子だ。キャスター時代と異なり、カジュアルなファッションの久米さんは、少し痩せた印象があるものの、ロマンスグレーの短髪に目力の強さで、変わらないダンディーな雰囲気を醸す。しかしこの頃、すでに病との闘いは始まっていた──。
1月13日、久米さんが元日に亡くなっていたことが公表された。肺がんだった。彼を古くから知る関係者にも、寝耳に水の訃報だった。
「数年前から療養を続けていたようですが、がんだと知っていた人は数えるほど。かつては愛煙家でしたが、2021年の春頃にドクターストップがかかり、完全に禁煙をしていました。昨年秋頃からはほとんどしゃべることもできず、3つの病院を駆け回って闘病しながら、命をつないでいたようです」(芸能関係者)
1985年に『ニュースステーション』(テレビ朝日系)のキャスターになり、20年近くにわたってお茶の間の“夜の顔”だった久米さん。
だが、同番組の終了後も精力的に続けたラジオ番組『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)は2020年6月に終了。翌2021年5月には自身の動画配信チャンネル『久米*ネット』の更新も停止し、約200本の動画はその後削除された。以降はインタビュー取材を受けるなどに留まり、仕事をセーブしてきた。
「表舞台に立たなくなった晩年以降、生来の映画好きが高じて週に1回は試写会に足を運び、批評サイトにコメントを寄せることがありました。しかし、唯一といっていい趣味のゴルフも、近年はめっきり減っていたようです。肺を患ったことで、動き回ることに支障が出ていたのでしょう」(前出・芸能関係者)

時に物議を醸したこともある歯に衣着せぬ物言いが人気だった久米さん。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。
「1967年にTBSにアナウンサーとして入社したものの、極度のあがり症で当初は短いニュース原稿を読むのにも苦労したそうです。その頃はストレスと緊張で食事が喉を通らなくなりガリガリだったとか。そうした日々が続いたことで免疫力が低下し、入社早々に肺結核を患ってしまったのです」(テレビ局関係者)
数年にわたる療養期間中はマイクの前には立たず、ひたすら電話番。だがその“充電期間”が、その後の久米さんのアナウンサー人生を大きく変えた。
「先輩や同僚のアナウンスを聞いて、レポートを提出することを会社から日課にされ、ひたすら研究したそうです。結論は、“家族や友人に向かって話すようにしゃべる”ということでした」(前出・テレビ局関係者)
その技術は、バラエティー番組というフィールドで発揮された。1975年スタートの『ぴったしカン・カン』や1978年に始まった『ザ・ベストテン』(ともにTBS系)といった番組に出演。特に『ザ・ベストテン』は、黒柳徹子(92才)との掛け合いもあいまって最高視聴率41.9%を記録するお化け番組になった。
1979年、フリーに転身。そして1985年に“報道番組に革命を起こした”といわれる『ニュースステーション』が始まる。
「オンエアよりかなり前に愛車のジャガーを自ら運転して局入りすると、報道局の円卓に座って、積んであるその日の新聞各紙を1時間以上かけて熱心に読んでからスタッフルームに入るんです。あまりの集中力に、声を掛けられても気づかないほど。番組での軽やかな語り口からは想像できませんが、オンエア前の久米さんからは、いつも緊張感が漂っていました」(別のテレビ局関係者)
(後編へ続く)
※女性セブン2026年1月29日号