
象徴としてどうあるべきか。この問いを胸に、常に皇室の在り方を模索されてきた上皇ご夫妻と両陛下は、未曽有の危機に際しては“国民と苦楽をともにする”という決意を体現された。その皇室の精神を目の当たりにされてきたプリンセスは、間もなく東北の被災地へ──。
「春の美しい歌ですね」
微笑みとともにこう言葉を漏らされたのは、天皇家の長女・愛子さまだ。3月2日、東京・中央区の日本橋高島屋で「第57回現代女流書展」を鑑賞された愛子さま。天智天皇の息子で、文化人として活躍したとされる志貴皇子が詠んだ和歌を題材にした書道作品に、特に心惹かれたご様子だったという。
「滝のほとりに芽吹く早蕨を見つけ、春が訪れた感動を歌い上げる和歌で、万葉集に収録されています。愛子さまは和歌の冒頭部分のみが書かれた作品を一見して、“志貴皇子(の和歌)ですね”とおっしゃった。その造詣の深さに感銘を受けました。
愛子さまは、新春恒例の歌会始でご自身が詠まれる歌を手ずから書にしたためることにも触れ、“書(道)を勉強しなければ”と案内役の書家の方に笑顔で話されていました」(皇室記者)
1300年以上前に詠まれた春の歌に心を寄せられた愛子さまは間もなく、熱狂に沸く東京ドームへ足を運ばれることになる。
「2月28日、宮内庁は天皇陛下が野球の国際大会ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本戦を観戦されることを発表しました。3月8日のオーストラリア戦をご覧になる予定で、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手(31才)も出場する見込みです。現状では陛下のご観戦のみ公表されていますが、雅子さまと愛子さまもご一緒される方向で調整されています」(宮内庁関係者)
かねて野球好きで知られる天皇ご一家。両陛下は2006年、2009年に行われたWBCの日本戦を東京ドームで観戦されている。
「愛子さまがWBCを生観戦されるのは初めてです。今回ご一家がご覧になる日本対オーストラリア戦といえば、2023年の前回大会、大谷選手が初回に特大ホームランを放った対戦カード。ご一家は、大谷選手のさらなる活躍を大いに期待されているはずです」(皇室ジャーナリスト)
ご一家と大谷が面会する可能性も指摘されている。
「当日、ご一家は試合開始の1時間前には球場に到着されるようにスケジュールが組まれています。2006年の第1回大会の際は、両陛下たっての希望により、試合前にイチロー選手と両陛下の対面が実現している。今回もご一家が希望されれば、大谷選手と直接会話する時間が設けられることも充分にあり得るでしょう」(前出・宮内庁関係者)
原発の方向をじっと見つめられ
2月末、宮内庁から正式に発表されたことがもう1つ──2月25日、宮内庁は両陛下の被災地訪問に、愛子さまも同行されると明かした。
「東日本大震災の発災から15年の節目を迎える今年、天皇ご一家は、3月25日・26日に岩手・宮城両県、4月6日・7日に福島県を、それぞれ1泊2日の日程で訪問されます。愛子さまが東北三県を訪問されるのは今回が初めてです」(前出・皇室記者)
ご訪問を2回に分け、太平洋沿岸部の被災地をじっくりと巡られるご一家。甚大な津波の被害に加え、原発事故も重なった福島県では、いまだ残る災害の爪痕と向き合われることになる。
「福島県では現在も7つの市町村にまたがる309平方キロメートル余りが『帰還困難区域』に指定され、2万人以上が避難生活を強いられています。
ご一家は滞在中、福島県庁で復興状況の説明を受けられるほか、いまなお町内の8割が帰還困難区域に指定されている双葉町に足を運び、『東日本大震災・原子力伝承館』で花を手向けられます。また、被災者とも対面し、当時の状況やその後の暮らしについて、直接耳を傾けられる予定です。そして今回、ご一家は福島第一原発の事故対応の“最前線基地”として使われた『Jヴィレッジ』に宿泊されます」(前出・皇室ジャーナリスト)

1997年、国内初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして誕生したJヴィレッジ。東京ドーム10個分の敷地に競技場と宿泊設備が整えられた複合施設で、長年、日本代表の合宿地としても親しまれてきた。福島第一原発から南へ約20キロメートルに位置し、広大な敷地を備えた同施設は、原発事故の応急対応や廃炉作業の拠点として使用されることになった。
「スタジアムの天然芝には砂利が敷き詰められ、資材置き場や作業車両の駐車場として使われたほか、作業員用の仮設宿舎が建設されました。その後、事故の対応拠点が少しずつ第一原発内に移され、2019年4月、震災から8年の歳月を経て営業の全面再開を果たした。福島県民にとっては復興の象徴のような場所であり、2021年、東京五輪の聖火リレーでは出発地点に選定されました」(スポーツ紙記者)
この15年間、皇室の方々はさまざまな形で被災地の復興への歩みに寄り添ってこられた。
「当時天皇皇后だった上皇ご夫妻は、2011年3月末から7週連続で各地の被災者を見舞われました。さらに震災発生の4日後には“国民と国難を分かち合いたい”と皇居を自主停電に。暖房を使わず、ろうそくとランタンで過ごされています。赤坂御用地の東宮御所でもそれにならって自主停電とされ、当時9才だった愛子さまも積極的に節電に努められていたそうです。
雅子さまも皇太子妃時代、陛下とともに東北三県を9回にわたってご訪問。体調が万全でない中、時折涙ぐみながら被災者と言葉を交わされました。雅子さまは毎年公表される誕生日文書でも発災から5年、10年と節目の年には必ず、東北の被災地への思いを綴っていらっしゃいます」(前出・皇室ジャーナリスト)
皇室の方々は原発事故によって発生した放射能による風評被害に対しても、深い憂慮のお気持ちを行動で示してこられた。
「上皇ご夫妻が震災後、初めて福島を訪問されたのは、震災から2か月後の2011年5月。当時すでに広がり初めていた福島の農産物への風評被害に心を痛められていた上皇ご夫妻は、カゴいっぱいの福島産の野菜を事前に取り寄せられ、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家へお土産として持ち帰られました」(前出・宮内庁関係者)
そして2018年6月、上皇ご夫妻の最後の福島ご訪問は、多くの国民の心に深く残るものとなった。
「美智子さまは福島ご滞在中、38℃を超える高熱がありながら、予定を変更されることなくご公務に臨まれ、慰霊碑に花を手向けられました。さらにご夫妻は、帰還困難区域の中を車で通過され、福島第一原発からわずか6kmほどの地点では車のスピードを落とし、原発の方をじっと見つめていらっしゃったといいます。
こうした“国民と苦しみをともにしたい”と願われるお姿や、復興への祈りを絶やさない一挙手一投足が、被災者のみならず、多くの国民に安心感と勇気を与えることになったのです」(前出・宮内庁関係者)
発災から15年を経てもなお、復興の最中にある被災地。愛子さまはこの現状を見据え、両陛下に同行することを決断されたという。
「愛子さまは2022年の成年会見の際、東日本大震災に触れ、会見当時の行方不明者数、避難者数の具体的な数字にまで言及されました。
愛子さまが両陛下の被災地訪問に同行されれば報道量も増え、より多くの国民に“復興は終わっていない”という現状を伝えることができる。故郷に帰ることができず、いまだ別の土地で暮らすことを強いられている人々の苦境が改めてクローズアップされることになります。愛子さまはこうした事情も踏まえた上で、被災地への同行を強く希望されたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)