【七回忌を迎える志村けんさん】墓前で手を合わせる芸能人やファンは今でも絶えず 長兄が明かした“後悔”「コロナ禍でお別れ会をちゃんとした形で開いてやれなかった」
「結局実現できなかった」
色褪せるどころか鮮やかさを増す志村さんの功績とは裏腹に、6年の歳月で消えたものもある。笑いの追求に心血を注いだ自宅もその1つだ。
志村さんが東京・三鷹市に居を構えたのは1987年。薄いピンクベージュの外壁に彩られたモダンな造りの一戸建てで、土地と建物を合わせた購入価格は当時3億円超とも報じられた。
「人気タレントと浮名を流したこともあった志村さんですが、最後まで独身でした。男3人兄弟の末っ子だったので、亡くなった後の自宅は長兄の知之さんと次兄の美佐男さんが相続したものの、しばらく空き家状態が続きました。美佐男さんが2021年に亡くなり、知之さん夫妻が月に2回ほど志村さんの家を訪れて管理していたのですが、高齢のご夫婦にとっては負担だったようで……昨年1月に売却しました」(知之さんの知人)
家屋の解体工事が始まった当時、知之さんは本誌・女性セブンの取材に対して苦しい胸の内をこう明かしていた。
「体の自由が年々きかなくなって、物を運ぶことができなくなった。あの家に残っていた荷物は、業者に依頼してすべて処分してもらったんです。できることなら残しておきたかったけれど、現実的にそれは無理だったんです。寂しい限りです……」

現在、志村さんの自宅があった敷地は更地となり、2軒の戸建て住宅の建築が進行中。この3月に完成予定だ。2月下旬、知之さんは本誌記者に七回忌を迎えることについて、しみじみと「早いもんだねぇ……」とつぶやきこう続けた。
「2月20日の(志村さんの)誕生日には毎年、駅前の銅像の前にファンが集まってくれるみたいでね。今年も何人も来てくれたと聞いています。そういう話を聞くと、やっぱり“お別れ会”をちゃんとした形で開いてやれなかったことが悔やまれます。当時はコロナ禍だったし、その後に一度そういう話が出たんだけど、結局実現できなかった。もうかなり時間が経っちゃったからね……七回忌もごくごく身内だけで済ませる予定です」
ファンが集う銅像とは、志村さんの死後、クラウドファンディングなどによって集まった約3200万円を使って、出身地である東村山駅前(東京)に2021年に建てられた志村さんの銅像のことだ。その隣には、志村さんの功績を称えて1976年に植樹された3本のケヤキの木があり「志村けんの木」として長年にわたり市民から愛されてきた。しかし現在、駅前広場は再開発が進められており、銅像の撤去や「志村けんの木」の伐採が検討されていた。
「3本のうち2本は伐採されてしまうようですが、1本は残ることになりそうです。銅像は一度別の場所に移して、駅前の再開発が終わったらまた戻ってくると聞いています。どんな形であれ、残してもらえることに弟も喜んでいるんじゃないかな」(知之さん)
後悔と安堵を口にした知之さんは、個人事務所の代表を志村さんから引き継ぎ、現在も弟の功績を守り続けている。志村さんの笑いは、これからもたくさんの人を笑顔にすることだろう。
※女性セブン2026年3月19日号