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《没後40年》昭和の大スター・鶴田浩二さん、最後までこだわり続けた「俳優」の肩書 三女が明かす余命宣告後の姿「母に病名を伝えることはできなかった」 

数々の大女優と恋愛関係にあった鶴田浩二さん
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 昭和の映画界に君臨した、トップスター・鶴田浩二さん(享年62)。数々の大女優と恋愛関係にあったことも有名だが、その素顔はどんなものだったのか──。鶴田さんの三女で幼い頃から父を「鶴田さん」と呼ぶ女優兼歌手の鶴田さやか(65才)が振り返る。【全3回の第2回】 

母は鶴田さんにすべてを捧げてきた人 

 波乱に満ちた生涯を送った鶴田さんが、銀幕の世界に足を踏み入れたのは1948年。海軍少尉として終戦を迎えた後、松竹に入り、青春スターとして脚光を浴びた。その後は『宮本武蔵三部作』(1954年〜)などの時代劇や、『人生劇場 飛車角』(1963年)をはじめとする任侠映画で一時代を築き映画界の頂点に君臨。1970年にリリースしたシングル『傷だらけの人生』がミリオンセラーを記録するなど歌手としても人気を博したが、本人は最後まで「俳優」の肩書にこだわり続けた。 

「1987年に肺がんで亡くなってから、来年で40年。もし生きていれば101才になります。 

 がんがわかったのは、私が25才のとき。休日を家で過ごしているときに妙な咳をしているので、近くの耳鼻咽喉科に連れて行くと、大きな病院で診てもらった方がいいと言われたんです。慶應病院で検査したところ、姉と私だけが呼ばれて『片側の肺のほとんどが、がんに占領されている』と告げられました。宣告された余命は3か月からもって半年。ヘビースモーカーだったけど、強靱な体力と精神力の持ち主がまさかそんな病にとり憑かれるなんて信じられない思いでした」(さやか・以下同) 

鶴田とのロマンスが明らかになっている岸恵子
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 すでに手術は不可能な状態で、本人はもとより母にも病名を告げることはできなかった。 

「母は鶴田さんにすべてを捧げてきた人。すぐに話すのは無理だと考え、姉妹で話し合って半年間は様子を見守ることにしたんです。このときこそ、3人姉妹であったことに感謝したことはありません」 

 入院している間は、家族一人ひとりが鶴田さんと正面から向き合うことのできた貴重な時間でもあったという。 

「鶴田さんは、私が芸能界に入ることに反対し続けていたし、“女優は茨道”が持論。鶴田さんの歌じゃないけど“古い奴”ですから、親としてごく一般の女性の幸せというものを望んでいたのかもしれません。それでも、私が舞台に出るといちばんいい席で見てくれたし、役者としての所作も教えてくれました。病院で、2人きりになったときに『お前はもう女優さんは辞めないよな』、『辞めねぇだろうな』って何度も言ってましたけど、辞めてくれとは言いませんでしたね」 

(第3回に続く) 

※女性セブン2026年4月9日号 

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